仮宿 その2

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                   ☆

 井沢祐司には、独特の大胆さと思い切りのよさがある。
 最初から彼はエスコートが上手だった。うっすら汗ばむような初夏の夕暮れ、遊び疲れ
た私たちはガードレールに腰かけ、露店のソフトクリームを舐めている。けだるい充足感
にひたっていた私はつかのま、人の流れに目を奪われていたのだ。
「文香のってバニラだったよな。口つけちゃったけど、俺のも味見してみるか?」
「ええ、一口ちょうだ‥‥」
 言い終える前に、彼に唇を奪われていた。
 チョコフレーバー混じりのなまなましい感触。唖然とし、思わず大声をあげる。
「ちょ、ちょっと祐司君。なんのつもり」
「好きなんだ、文香。告白しようと思っていたけど、あまりに無防備だったから気持ちを
抑えきれなかった。後悔も言い訳もしない」
「な、なにそれ‥‥」
 いつかと同じ。なじりかけた言葉が急につっかえる。キュンと胸の深いところが疼く。
祐司の目は、勝手にキスされた私の方がうろたえるほど真摯だった。
「好きなんだ。クールなお前も。無防備なお前も。俺のものにしたい。お前が欲しい」
「あ、あのね祐司君、通行人が見て‥」
「かまうものか」
 野獣のような告白だと思う。負けを知らない男の子の手だ。 
 再びキスを求められた。強くこばめない私との押し問答を、通りすがりのカップルや学
生が興味深げに見つめている。頬から火が出そうだった。
「もう、とにかく、移動するからね」
「あ、おい‥‥」
 とんと胸を突き放し、表通りを離れて人の少ない道に彼を引っぱっていく。
「いつも、こんな強引な方法を使ってるの?」
「悪い。普段はもっと計算高いんだが、つい衝動が‥‥‥で、谷崎さんの返事は」
 しおらしい顔をする彼に、私は熱い頬を押さえて吐息をついた。なじる気にもなれない。
「ホント、驚かさないで‥‥」
 背の高い祐司の腰に腕をまわし、ローヒールの爪先で背伸びをする。
「ここでなら、誰も見てないから」
 ソフトクリームの匂いが口の中に溶けだしてゆく。
 祐司とのキスは甘く香ばしかった。

「なぁ文香。2人だけの秘密にしようぜ」
「秘密って?」
「俺とお前が、こんな関係だって事」
 冗談めかして楽しそうに語る彼の言葉に、裏の意味はなかったと思う。むしろ、親友に
さえ隠れて愛しあう行為は、背徳めいた感情の昂ぶりさえ加えて、2人きりでいる密度を
より濃くさせた。
 祐司のキスは大胆で翻弄される。好き勝手に口の中を奪われる。思うがままにならない。
もどかしい。それが、躯の芯にぼっと火をつけていく。シャワーを浴びて湿り気の残る肌
をなぞる愛撫は丹念で、全身がビクビクと嬉しさにうち震える。
 強く激しく繋がり、求められる感覚が心地よいのだ。
 もともと私は、TVや雑誌で目にするような深い快感をセックスで感じることはまれだ
った。けれど、彼と繋がっている一瞬なら、そこまで行けそうな気になれる。
 終わったあとは鼻を鳴らして甘え、裸の、薄いけれど筋肉ののった胸板に顔をうずめる。
「私たちって、どういう関係なのかしらね」
「友人以上・恋人未満‥‥おまえが言い出したんじゃなかったか?」
「イジワル。この間の逆襲かしら」
「嘘、嘘だって。そんな涙目になるな、ハハハ」
「な‥‥なってないってば」
 抗議する私の頭を、彼は嬉しそうにさわさわと撫でるのだ。普段なら怒って振りはらう
ような行為だが、彼と肌を触れ合わせている間はいくらでも甘えていられた。
 素直に、心をさらけだすことができたのだ。

                   ☆

 菜穂子と祐司は、少しずついい関係になりつつあるようだった。構内でも、2人で歩く
姿を時折見かける。けれど、あと一歩のところで菜穂子は踏み込めないらしかった。逐一
報告と相談をきかされるたび、言いようのない感情が心を揺さぶっていく。
「今度、2人っきりで遊びに行くことになったの。みんなには秘密だよって言うけど」
「秘密って、私たちに?」
「うん。でも、文香は私の親友だもん。隠し事なんかできないから。ねね、私どうしよう」
 秘密――2人っきり――
 平静さを取りつくろうのが難しいほど、私は動揺していた。
 かって私が祐司から耳打ちされた言葉。同じ言葉を、祐司は菜穂子にもかけているのだ。
菜穂子は手がかかるかわいい妹のような感じだった。自然で無邪気で、私にはないものを
持っている。素の可愛さでは彼女にかわないと思う。
「ねぇったら、祐司って、どんな女の子が好きなんだろう。どう迫ったらいいのかな」
 ざわざわ鳥肌立つような悪寒の前兆が、肌の上を這いずりまわっている。
 どんな雰囲気になるか、容易に想像がつく。菜穂子の肩に手をまわす祐司。そっと顔を
近づける祐司。そして、彼女のきゃしゃな躯をきつく抱き寄せて‥‥
 考える間もなく、私は言葉を紡いでいた。
「彼、エッチい女の子が好きみたいよ」
「え?‥‥え、エッチぃの? ど、どんなの?」
「こんなのかな」
 こちょこちょ菜穂子のわき腹をくすぐると、キャッと叫んだ菜穂子はすぐにむくれた。
「ひどいよ、文香。なんかさー、祐司君のことになると全然真剣に相談乗ってくれないし」
「そんなことないって。それに、菜穂子は自然にフェロモン出てるから」
「ウソ‥‥そうかな、私」
 今度はぽーっと口を開いて考え込む。その仕草がまた微妙に色っぽい。
 分からなかった。自分の心が。
 あれは終わった恋なのだ。そう彼にも告げたはず。なのに、心の中に毒が渦巻いている。
菜穂子と私を比べて、優位なところを見つけ出そうとしてしまう。なんの意味もないのに。
もう、何も取り戻せないというのに。
「じゃ文香のアドバイスだと、今のまま、もう少し大胆に迫ったりしてもいいってコトね」
「ええ‥‥次の授業、そろそろ行かないと。じゃ、あとで」
 不意にいたたまれぬ思いにかられ、菜穂子と顔をあわせないようにして立ち上がった。
 私はウソをついたのだ。


 祐司とのセックスは、暖かく、やわやわとした靄にくるまれたようなものだった。
 嬉しいのに、回を重ねれば重ねるほどもどかしい。本当は絶頂になんて達してないのに
イクとか気持ち良いとか演技をしてしまう。行為のあと、快楽の余韻に放心している彼を
見るたび、かすかな寂しさが心を締めつけた。
 女性経験の少ない相手なら、それとなく指摘したり、自分好みの方向に誘導できたかも
しれない。けれど、井沢祐司は限りなく女性の扱いになれた男性だった。満足できないと
口にすることは、自分に欠陥があると告白するも同然だと思えた。
 だから、私は少しづつ大胆な行為を求めるようになった。変わった刺激があれば、私も
もっと気持ちよくなれるかもしれない。快感を共有できるかもしれない。エッチな女の子
を嫌う男性なんていない、そんな風に思い込んでいたのだ。


 祐司が私を避けているのではないか、そんな疑いが心に浮かんだのは、夏の終わり近く
だった。特にそれは、肌を重ね合わせているときに感じる。微妙な憂鬱さのようなものが、
彼の体を包み込んでいる。
 私が彼に呼び出されたのは、焦燥めいたそんな気持ちに苦しめられていた時のことだ。
携帯にかけてきた声に、嬉しさより不安がつもる。それも初めてだった。
 待ち合わせの駅前はやけに閑散としていて、祐司がポツンと広場に立っていた。あの瞬
間、ギュッと胸が痛くなったのは今でも覚えている。
 喫茶店でのどこか気まずい沈黙の後、彼は気を使いながら小声で話し始めた。
「ゴメンな。たぶん、俺と文香は、合わないような気がする」
「合わないって、何が」
 動揺した私の顔を見て、すまなそうに祐司は口にした。
「その‥‥セックスの相性さ」
 俺は文香の求めるほど貪欲に応じられないんだ。淡白なのかもしれないけど、たぶん、
文香を満足させてやれない‥‥だから、元の友人関係に戻そう。
 彼は、そう言ったのだ。
 『お前を満足させられない』――その台詞が男にとってのタブーなのは私だって知って
いる。けれど、祐司は何のためらいもなく平然と言ってのけた。すまなそうな顔をして。
 それはつまり、私が淫乱だと‥‥もてあますと‥‥そういう意味、なのだろうか。好き
だからもっと感じたいのに。一緒に気持ちよくなりたいのに。
「‥‥」
「少しの間だが、お前という女の可愛い部分を見れて俺は幸せだった。まだ誰も俺たちの
ことは知らない。元に戻っても、とやかく言われないだろう」
 顔の筋肉がこわばっていた。ひどく醜い自分がすぐそこにいる。こんなにも好きなのに、
胸の奥がまがまがしい痛みで疼く。今にも、ナイフのような言葉が飛び出しそう。
「‥‥そうね」
「‥‥」
「きっと、私たちは、肌が合わなかったの。残念だわ」
 冷えきってしまう自分の声がいやだった。本当はそんなこと言いたくないのに。今でも
好きなのに、もっと気持ちをぶつけたいのに。泣きだしたいくらいなのに‥‥
 不器用な自分があわれだった。感情を、うまく言葉にできない。
「祐司君とは、ただの良い友達でいられれば良かった」
「文香‥‥」
「なんであの日、あの晩、私を誘ったの」
 こんなに、本気にさせておいて‥‥ 
 別れがフィフティ・フィフティなんて嘘だ。女の子と別れるのが上手なんて、それも嘘。
心の重荷は、必ずどちらかが背負うしかないのだ。
 帰り道、がらがらにすいた昼下がりの電車の中で涙があふれた。どうしようもない未練
と後悔と、胸を締めつけられるような思いに、人目など気にしていられなかった。
 私は、心の半分を失ったのだから。 
 そして、失った空洞を押し隠して、大学での日々をすごさねばならなかったのだから。

                   ☆

 語学の講義を受けて教室から出てきた私はつと立ち止まった。ぶっきらぼうにコートに
手を突っ込んで、身震いするような吹き抜けの廊下に葉村宏明が立ち尽くしている。
「ちょっといいかな‥‥文香」
 彼が、私を名前で呼ぶのも久しぶりだった。ドキッとする。

「文香、どうしたんだい?」
「‥‥え」
「最近、君の調子が変だよ。なにかあったのかと思って」
 過去に2度、こういうことがあった。一度は、私が祐司と付き合いだした時。もう一度
は祐司と別れた時だ。その時も、彼は私を名前で呼んだと思う。
「どうして分かるのかしら」
 学食を避けた私たちは、キャンパスから少し遠い店の中にいた。ちらとショートボブの
髪に手をやり、さりげなさを装って訊ねてみる。
「文香は分かりやすいんだよ。俺にとってはね。きっと性格でも似てるんだなぁ」
「葉村君だけよ、私の変化に気づくのって」
「実を言うと、まっさきに妖怪アンテナが反応するんだ。『おい、鬼太郎』ってなもんさ」
「あのねぇ」
 じろっとにらむと、葉村は笑って手をふる。
「ウソウソ。でも分かりやすいのは本当だ。でなきゃ、君の力になってやれないだろ?」
「やけにキザなせりふ吐くじゃない」
「あはは、クソぉ。祐司じゃないと、この手のセリフは決まらんか」
 4人の中で私の変化にもっとも敏感なのが、葉村宏明だった。クールを装い、冷静さを
保っていても彼だけはごまかせない。私以上に観察眼の鋭い不思議な男の子なのだ。人が
苦しい時肩を叩いて悩みを笑い飛ばすのが祐司なら、葉村はそっと手を差し伸べて悩みを
分かち合ってくれるタイプだった。女性的なのかもしれない。
 運ばれてきたペスカトーレを口にし、私は慎重に言葉をえらぶ。
「ちょっとね‥‥気持ちが落ち込んでいるの」
「菜穂子の告白以来か」
 パスタを巻き取る手が一瞬止まる。むろん、彼はそれを見逃さない。
「やっぱり、その‥‥祐司と菜穂子のことが気になるのかい」
「ええ」
「祐司のことが、今でも気がかりなんだ」
 あれ? と思った。葉村の発言は微妙におかしい。なにもかも知っているかのようだ。
いや‥彼の顔を見つめながら思う。そうか。そうかもしれない。私と同じように、気持ち
のベクトルが一方向に注がれていれば、おのずと気づくわけだから。
「な、なんだい?」
「はい?」
 気づくと、葉村はかすかに顔を赤らめていた。凝視されて気恥ずかしくなったようだ。
あわてて私は笑顔でごまかし、パスタに取りかかる。
「なぁ文香。どうしても気がかりなら、変に感情を押し込めない方がいいよ」
「‥‥」
「気持ちを引きずったままじゃ、誰も幸せになれんじゃないのか‥‥なんて、ね」
 彼の言葉を黙って聞く。そうかもしれない。彼が祐司と私との過去をどこまで気づいて
いるかは知らない。この発言もただの探りかもしれない。けれど、少なくともいつか、私
は祐司への未練を断ち切らねばならない。それは事実だった。
 菜穂子と祐司がうまく行きそうなら、なおさらだ。
「葉村君、一つ、お願いがあるの」
 私は思いきって切りだした。



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