首輪のある生活 その2

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 口にしたティーカップを戻すほどの間、あっけにとられたまなざしが私をとらえていた。
「性癖って‥‥え、まさか。彰子の彼って‥‥」
 言いかけた敦子は一瞬、表現を選ぶかのようにためらい、
「ヘンタイなんだ」
「‥‥‥‥わかんないよ、私には」
 偽らざる本音だった。ストレートすぎる敦子の問いを、私は否定も肯定もできずにいた。
本当に、分からないのだ。なにが普通でなにがヘンタイなのか、その境界なんて。

 SMについて知らないわけではない。
 初めて彼とカラダを重ねたあの夜以来、私なりにその行為の意味について、そして何故
自分がああも溺れてしまったのかを理由づけたくて、あれこれとネットで調べてはいた。
いわく、奴隷と主人。いわく、飼い主とペット。いわく、調教行為によって女をしつけ、
男の望みどおりのカラダに仕上げていくこと。
 いかにマゾ性を秘めた女を探しだすか。
 そうやって口説き落とし、あるいは手なづけ、奴隷にしていくか。
 そこに広がる言説の数々は、私を動揺させ、おののかせるに十分だった。
 首輪をつけられての行為で乱れて狂ってしまう自分の性癖を知っただけで、本当の私は
普通じゃないらしいということだけでも混乱するのに‥‥ネットにあまた転がるハウツー
ものは、決まってご主人様志望の男性にこう告げるのだ。
『SMの関係は愛情ではない』
『支配と服従の関係なのだと。信頼はあっても、愛ではない』
と。
 なら‥‥本当の良平は、私のことを、どう見ているのだろうか‥‥‥‥?


                   ☆


「なるほどねぇ。なんかディープな世界。一人で考えても堂々めぐりだよ、それ」
「うん」
「でも、普通に恋愛感情もあると思うよ、その子。じゃなきゃ、いくら彰子に隠れた素質
だか性癖だかあったって、同じ社に勤めているお局OL誘えないよ。手軽な女なんていう
にはリスク大きいんじゃん、なんかあった時」
 さすがに敦子はのみこみが早かった。
 私がもやもやしていた感情をきちんと言葉でまとめてくれる。結婚に焦ってるお局なら
熱心にアタックすれば普通は嫌がることだってしてくれるんじゃないか‥‥本当は良平も
ネットで見かけたSMマニアと同じで、特殊なパートナーが欲しかっただけじゃないか‥
‥そういう私の悩みを軽く一蹴してくれる。
「ネットのSM論なんて鵜呑みにする彰子が素直すぎ。誰が書いたかも分かんないのに」
「それは、そうだけどね」
 でも、分からないのはいずれにせよ同じだ。首輪をつけてのセックスだなんてこれまで
知らなかった行為なのだから。心と体がバラバラにほつれてしまうあの感覚がなんなのか、
説明なんてつかないのだ。
 別れ際、敦子はウィンクして囁いてくれた。
「あんただって私と同じくらい良い女なんだから、変なめげ方しないでよね。どうしても
納得できないんなら、年上の女の魅力でリードしながら聞きだしなさいよ」
「それができれば悩んでないってば」
「できるよ、大丈夫」
 軽くふくれっつらした私に笑いかけ、手を振って歩いていく。そんな佐々木敦子の後ろ
姿は、でも、たしかにOL当時に比べれば年輪を経て、ぐっと魅力的に頼もしくみえるの
だった。私もあんな風に成長しているのだろうかと、ふと自分をかえりみて思う。


「お帰り、彰子さん」
「え?」
 靴脱ぎに並んだ彼の革靴に気づいて目をあげると、奥の部屋から良平が首をのぞかせて
笑っていた。体調を崩しがちな母を気遣って、いつもなら日曜は実家に戻っているはず。
「あら‥‥ただいま。どうしたの、今日は」
「母さんの体調がよくてね。週末こそ彼女といてあげなさいって、諭されちゃったよ」
 頭をかく格好がやけに初々しく、年相応にかわいらしかった。
 わびしい部屋を彼が暖めておいてくれた。そう思うと無意識に顔がほころんでしまう。
自分の現金さにくすりと笑い、かかとをあげてヒールを脱いだ。唐突に良平が口を開く。
「きれいだ、彰子さん」
「なっ、ええっ‥‥なによ、藪から棒に」
「好きなんだ。彰子さんみたいにできる女性がそうやって靴を脱ぐ姿。すごく大人びてて」
「‥‥」
 切り返しを思いつかず、子供のように頬が赤くなってしまう。
 これが愛情じゃないなんてことがあるのだろうか。SMの奴隷を手に入れるための口実
だなんてことがあるのだろうか。ネットで知識を得てから注意深く彼を見るようになって
いるけれど、セックスのその時をのぞいて、つねに彼の態度は柔らかく、私を包みこみ、
甘えてきてくれている。
 年下の若い彼氏を所有する喜び。
 それは間違いなく、女としての自尊心をくすぐるものだ。
 出迎えられ、立ち上がった彼の腕の中でキスを交わしながら思う。彼との関係を知って
私は弱くなったのかもしれないと。どうしても、昼間、敦子に叱咤されたあのひとことを
彼に問いただす勇気がないのだと。せめて誘導ぐらいはできるはずなのに。
 のぞきこむ彼の瞳は、まるで疑いを知らない色に見える。私の方が汚れてるかのように。
「ねぇ」
「なんだい、彰子さん」
“私のこと、どんな風にお母さんに説明してるの?”
“6つも年上の彼女だなんて言うの、ちょっと恥ずかしかったりしない?”
 そんなこと。
「ううん、なんでもない‥‥」
 そんな風にカマをかけることさえ、今の私にはできなかった。彼を疑っているかのよう
で、信頼しきっていないようで、そして彼にそう思われるのが怖くてしかたない。疚しさ
にうつむきかけた頬を両手ではさまれ、掌の感触に全身がひくんとおののいた。
 耳たぶをくすぐる男性の指先。頬がかぁっと熱くなる。
「どうしたの。悩みがあるなら俺に話してよ。相談にのれるかもしれない」
「ン、あ‥‥良平‥‥」
 唇と唇が重なってはほつれ、吐息をこらえてしまう。ためらいがちな私を引き込もうと
囁きの合間にちろちろした交合をしかけてくる。
「それとも、年下の男はふがいない?」
 茶化した口調とうらはらの視線にドキッときた。
 真摯でありながらどこか寂しがっているような、甘えつつも傷ついている。そんな瞳。
 こんなにも、私は良平の思いを独占しているんだ‥‥
 悩ましくも被虐的な、あの甘いひりつきが体の芯からこみあげてくる。カラダを重ねて
しまえばいつものように悩みも困惑もすべてうやむやなまま押し流されてしまうだろう。
それは怖いことなのに、けれど彼に迫られれば拒めない。
 敦子のアドバイスに従うなら今だった。
 どうして首輪を嵌めるのか。どうして私を支配したがるのか。その一言が聞ければ‥‥
 ――本当に首輪のないセックスの方がいいの?
 ――そう、望んでいるの?
 不意に頭をよぎった問いかけにひやりとした。本当に首輪を望んでいるのは、ベットの
中での従属を望んでいるのは、私自身ではないのだろうか。初めて知ったエクスタシーの
味。今までのセックスとは全然違う、奈落の底へ堕ちていくあの絶頂感。
「ん? ひょっとして‥‥?」
「あ‥‥違う‥‥」
 目の前にさしだされた首輪の光沢に目を奪われ、どうしようもなく胸が昂ぶった。
 今までにも幾度となく繰り返したのと同じ煩悶の果て、やはり今夜も認めざるを得ない。
パブロフの犬のように、首輪をされることで私は赤裸々な牝になってしまうのだ。欲しく
てしかたなくて、けれど自分ではおねだりなんてできない。
 愛しているからこそ、あんな獣のように乱れくるった姿は見られたくない。この矛盾。
「言って欲しいんだ、彰子。一度でいいから、君自身の口で」
「‥‥あ、イヤ」
 良平は私を意地悪に試す。どうにかして私自身に言わせようと。こらえるカラダを熱く
溶かして、ひたすらなキスが首筋から胸元へ、さらには鎖骨のくぼみにまで下りていく。
「恥ずかしいの‥‥本当に、ゴメンなさい‥‥」
「分かったよ。じゃあ、首輪をしても、いいよね?」
 やはり、いつものように少しだけ寂しげな良平の言葉に、なぜか胸を締めあげられる。
コクンと頷く私は、ひりひりと火照った顔をそむけて、うなじをむきだしにさらしていた。
いつもと同じ行為。いつものように迫られて‥‥いつものように、歓楽を、噛みしめる。
今だけは、これで良い。そう思って流されていく。


                   ☆


 イブの晩が近づくにつれ、少しづつ私は落ち着きを失っていった。
 良平とすごす初めてのクリスマス。次に聖なる夜をむかえる時、私はすでに30才なのだ。
このままズルズルと言いだせないままで良いのだろうか。結婚についてどう思っているか
探りを入れたり、せめて首輪のことぐらいは聞いておかないといけなくないだろうか。
 クリスマスの浮かれ気分は街中だけのものではない。
 女性比率の高いうちの会社でも、イブの日が迫るにつれ後輩OLの浮つき具合がひどく
なっていった。ロッカー室での彼女らの会話は日に日に喧しくなり、給湯室で息ぬきする
回数も増えている。話題の大半はイブの晩をどう過ごすか、誰が狙い目か、それと「可哀
想」な先輩OLについての、あてつけめいたひそひそ話。
 的外れの噂は別に腹も立たないけれど、さも分かったような目配せや囁きの積み重ねに
イライラさせられるのも事実だった。いっそ良平との関係を暴露して内輪で固まっている
「寂しい」後輩OLの鼻を明かしてやりたい衝動にさえ駆られる。
 原口良平が独り身の男性として彼女らにカウントされていることは、軽い優越感と同時
に小さな不安の芽となっていた。他の子に誘われてもきっぱり断るに違いないと思う一方、
もしかしたら私はキープされているだけで他の女性と過ごすかもしれない、なんてあらぬ
猜疑心を抱いてしまうのだ。特別にどこかでイベントというのではなく、聖夜は私の部屋
で過ごしたいという彼の希望も、かすかな不安となっていた。
 恋人じゃなくてSMの奴隷だから、別にロマンチックなイベントも必要ない?
 下らなすぎる発想だ。でも、不安は、不安だった。
 若々しくいきいきした後輩OLの姿を見ていれば、そのくらいの気持ちは抱いてしまう。
仕事を効率よくこなし彼女らを動かす私の姿は「できる」女性のようかもしれないけれど、
それとてOLの範疇をこえるものではないからだ。特別な資格や能力があるわけでもない。
漫然と重ねたOL生活の慣れだけでどうにかしているだけなのだ。
 クリスマスイブ、その当日。
 いつものように彼とは家を出る時間をずらし、先に会社に向かう。半日もすれば仕事も
終わり、プライベートな時間を満喫できるだろう。はなやぐ心を押し隠して着替えていた
私は、ロッカー室の反対側で始まったOLたちの会話に思わず手を止めていた。
「じゃあ原口君も誘っちゃっていいんだよね」
「うん、OKみたい。茂木君を通してそれとなく確認したら、やっぱり今夜ヒマだって」
「いーねー。ちょっと楽しくなりそう」
 聞き覚えのある後輩OLの声。となれば、原口君というのは良平の事に決まっている。
誘う、という言葉に思わず耳が尖ったものの、彼があんなキャピOLになびくはずもない
と思ったから、私は先に立ち去った。
 だから、お昼時のオフィスでくつろいでいた良平を彼女らがぐるっと取りかこむまで、
私はその「誘い」というのが若い社員だけを集めた忘年会の誘いであることに気づかなか
ったのだ。
「ね、出てくれるよね?」
「だって、無理だろう。君たちもいきなりすぎるって」
 気がづいた時にはもう口を出したり、タイミングよく別の用事で割って入れる状況では
なかった。かすかに眉をしかめた良平の顔に、何食わぬ顔でお弁当を広げたまま机の下で
強く手をにぎりしめしまう。
 要領のいい彼のこと、うまく切り抜けると信じていた。けれど。
「それとも、まさかつきあってる女性がいて、ホントは会う予定になってるとか?」
「え、そんな‥‥?」
 良平がいいよどむのが分かった。ほんの一瞬、すがるかのような瞳が私に向けられる。
その視線に‥‥私は応えることができなかった。なんていって会話に割りこめばいいのか、
あるいはどうしたらいいのか、分からなかったのだ。
 部屋の向こう側で、良平が焦ったような取りつくろいの笑みを浮かべる。
「まさか。つき合ってる人なんて、あはは」
「だよねー。ならいいジャン。親睦を深める大切な機会なんだし。ね?」
 それ以上聞いていられなかった。
 立ち上がり、早足で廊下に出る。背後の部屋で小さなざわめきが起きたが、それが彼の
ものなのか、彼をとりまくOLたちの歓声なのか、よく、分からなかった。
 意味もなく化粧室にとびこみ、誰もいない鏡に顔を映す。
 なぜなんだろう。
 お互いつきあっていることは会社では伏せておく。そう約束させたのは私だというのに。
 鏡の中のOLはひどく傷ついた目をしていた。

 いつ仕事が終わったかもよく覚えていない。
 ぼんやり、淀んだ気分のまま機械的に仕事を終えた私は、自宅へ向かう電車に揺られて
いた。まわりにはカップルやメールで連絡をとりあう人々がめだつ。みな、幸せな聖夜を
目の前にしているのだ。
 なぜとなし、惨めな気分だった。
 周囲に取り繕っていた良平にも。そんな彼を救ってあげられなかった自分にも。
 お局OLとはいえ、私はあまり怖がられるようなタイプではなかった。それなりに指図
して彼女たちを動かすことはあっても、叱責したり畏怖されたりする感じではない。その
気おくれが、あんな結果を招いたのだ。
 結局、彼はわざとらしい日取りの忘年会への参加を、飛び込みで承知させられたらしい。
メールで届いた謝罪には、まだ返信を打てずにいた。感情的になってしまいそうで言葉が
見つからない。
 闇夜に浮き上がる駅前のショッピングモールを抜け、街角の飾りつけを意識しないよう
自宅に戻る。なにをする気力にもなれず、服もバッグも投げ出した私はため息をついた。
なにが年上だというんだろう。大事な時に、彼を庇ってあげられなくて。
 準備しておいたクリスマスキャンドルが、綺麗にセッティングされたテーブルクロスが、
ものわびしくリビングで灯しだされていた。買ってきたケーキも冷蔵庫に眠ったままだ。
独りで食べることになるかも、そう瞬間、食欲はまるでなくなっていた。
 なにがいけないんだろう。
 これ以上ないほど彼とはうまくいっている。なのに‥‥
 知らず知らずPCを立ち上げた私はネットをのぞいていた。いくつものSM系のサイト。
そこに書かれた、ご主人様の教え。愛情なんて必要ない。カラダに刷り込ませればいい。
深いエクスタシーを知ることで女は自然と従属するようになる。それが調教だ‥‥連綿と
つづく、ぞっとするような言葉の羅列。
 彼の求めにさからえない私は、すでに調教されているのだろうか。
 ドアノブの回る音は静かで、私は気づかなかった。
「ただいま‥‥彰子さん」
「!?」
 突然の声。
 ふりかえると、うなだれた表情で良平がそこにいる。
「ようやく振りきって帰って来たよ。あいつら‥‥ホント、二次会だなんだとしつこくて」
「‥‥」
「何度も連絡入れたのに、彰子さん出てくれないし。ひどいよ」
 傷ついた彼の視線が私をえぐる。嬉しさと、彼を責める感情と、寂しさとおののきと。
おかえりの声が喉につっかえてうまく出てこない。
 お酒の匂いと、誰とも知らぬ香水の匂いが、私の気分をおかしくさせる。
 他の女の子たちと一緒に聖夜をすごして‥‥良平は‥‥
「彰子、さん?」
 不平を鳴らしていた良平は、返事もせずにたちつくす私の異常に気づいたのかあわてて
近づいてきた。肩をつかむ男性の手。私をだきしめ、なし崩しにうやむやにする良平の手。
その強い力が、反射的な拒否反応を起こさせる。
「待って、待ってダメ」
「どうしたの、彰子さん。なんか変だ‥‥」
 言いかけた彼がふと私の背後に向かい、PCのモニターをのぞきこんでいた。
 SM系の出会いサイトに書かれたコラム。
「どうして」
 あっけにとられた彼の表情を見たとたん、さぁっと後悔で血の気が引いていく気がした。
見られてしまった。私の不安を、私の不信を、私の背信を。そしておそらくは、いままで
ずっと私が疑い続けていただろうことも。
 私のために急いで帰ってきたのは、息を切らす姿を見れば分かる。本当はうれしいのだ。
だから、言いたいことがいっぱいあって、口を開いたはずなのに。
 私が、私を裏切っていく。
「分からないよ、私‥‥分からないのよ‥‥良平の心が」
「えっ?」
「手軽な女だった? 私は? 調教も簡単だった?」
 良平の顔がぎょっとしたように歪む。それを見て意地悪く喜んでいる醜い自分がいる。
あてつけるかのように痛烈な台詞が、こんなタイミングで一番大切な聖夜に言うべきじゃ
ない言葉がぼろぼろあふれだす。
「おい。待てよ。待てってば、ちょっと落ち着いて」
「他の女の匂いのついた手で触らないで!」
 おさえつける彼の手がいらだたしく振り払いながら、ヒステリーめいた悲鳴が口をつい
てとまらなくなっていた。ずっと抑えこんできた自分自身が、堰をきってなだれていく。
「SMって愛情じゃないじゃない。奴隷じゃない。そんな風に私を見ていたの。他の若い
子の方が一緒にいて楽しいの。他の女の子には拒絶されるから、私を選んだの。いい年し
て焦っている私なんか、簡単に落とせると‥‥」
「彰子!」
 不意に大声をだした良平にびくっとなった。
 いつも柔らかな瞳がきり、と吊り上がる。撲たれると思った。とっさに固く目を閉じる。
 唇からすべりこんだ感触は、あくまで柔らかく、暖かかった。
「ア、んふ‥‥ン‥‥りょう、へ‥‥」
 私の声を、嘆きを、すべてを吸い尽くすかのように、あらあらしいディープキスが私を
翻弄する。息を紡ぎ、口腔をくすぐり、交じり合う雫を強引にことほぐ。
 突っ張っていた手からずるずると力が抜け、それとともに昂ぶった感情が収まっていく。
なにを当りちらしていたのだろう。彼は悪くないのだ。私に勇気がなかっただけなのだ。
今さら暴れてもしかたない。もう、なにもかも、良平に知られてしまったのだから。
「どう。落ち着いた?」
「ん」
 うなずくと、意外にも彼はホッとしていつもの屈託ない笑みを見せた。
「良かった‥‥今日は悪かったね。心配、かけた」
 ふわりと大きな手が背中を引き寄せ、彼の胸の中にすっぽりと包まれる。
 思いがけぬ優しさに、当然の拒絶を予期していた私はどきりとした。いまだ激しく動悸
を打つ胸を彼におしつけ、おそるおそるうかがうように彼の顔を下から見上げる。
「おびえたな瞳をしないでください、彰子さん」
 かわいいですけどね、そういう彰子さんも‥‥冗談まじりに呟く台詞で顔が赤くなる。
「私、その‥‥」
「いいんですよ。俺だってヒス起こしたこともあったでしょう。こういうのはお互いさま
ですから。ただ」
「‥‥」
「そんな風に彰子さんが悩んだり苦しんでるの、全然気づかなかったのが悔しくて」
 驚くほど真剣で、包容力ある男性のまなざしが私にそそがれる。
「良平」
「もっと早く言ってくれればよかったのにって、そうもいかなかったんだろうね。まさか
あんなサイトの中身を鵜呑みにしてしまうほど深刻に悩んでいたなんて」
 良平の声。良平の瞳。
 その瞳が柔らかく細まり、囁く声はたしかに心に届いていた。
「愛してるから、心を許せるからこそ、他の誰でもない彰子さんを俺だけのものにしたい
し、本当の欲望を受けとめて欲しいんだよ、俺の」

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