遠き夜の影 その1

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「お客さん、それはただの両替。お金払って」
バスから降りようとして、無愛想な運転手に呼びとめられる。
あわてて頭を下げつつ、崩したばかりの小銭を運賃箱の透明なボックスに払いこみ、
ようやく私は降りたった。日に7本しか通らないというがらがらに空いた路線バスが、
対向車もいない田舎道を土埃を蹴たてて走りだす。
クルマの騒音が消えると緑の影が濃くなり、思いだしたように蝉が鳴きだした。
ガードレールからのりだし、眼下の狭隘な盆地を見下ろす。どこまでもつらなる段々
状の棚田に、斜面に張りつくひなびた温泉街。変わることのない集落の眺め。
‥‥あの夏の風景が、ここに。
とたん、くらりと目眩がおとずれた。


――真夜中の、黒々と照り返す水田のあぜみちを。
――見あげる月をさえぎった、たおやかな白い肌を歪ませる、女性の影。
――肌を喰い締める縄はざらりとみだらに、手にしたリードは、長く、伸びて。
――滲んだ世界が、みるみる紅にそまっていく‥‥


見えるはずのないものを目にして、はっとわれに返る。
気のせいだろうか。今しがた視野に重なった幻視は、近頃よくみる夢に酷似していた。
あのあと、決まって私は、夢の中で無数の手に‥‥
思わず頬が染まり、誰もいない道路の端で、私は無意識に自分を抱きしめていた。口
からなまなましい吐息がこぼれてしまう。あんな、あんな行為をされて、私は。
恥ずかしい、淫らな夢。
わけもなく全身を火照らせる、奇妙な続き夢。
思えば、この懐かしい風景を見たときからどこか心がざわついている。永い間、母は
田舎に帰ろうとせず、私の帰省さえ拒んできた。そのことが、あの夢に関係でもある
のだろうか。
背徳めいたカラダの火照りとは裏腹に、すぅっと背筋が冷えていくような気がする。
いらぬ詮索を避けるため、私の帰省は誰にも話していないのだ。
‥‥誰も、私の行き先を知らない。
「まさか、ね」
口にすると、あっけないほど不安はすぐにかき消えた。
ホラー映画じゃあるまいし、この雛(ひな)でいったい何が起きるというのか。
何より、15年ぶりの祖父との再会なのだ。
成長した私を見て祖父がどんな反応をするのか、それを思うとわけもなく足取りまで
弾みだすような気がする。甘い憧憬がこみあげてくる。
汗をぬぐい、美容院で仕上げてもらったウェーブヘアにふれる。用意した麦わら帽は、
やはり土地柄に合っている気がした。真白いワンピースの裾をひるがえし、スポーツ
バックを持ちあげた私はうきうきとあぜ道を下りだす。


このときまだ、私自身は気づいていなかった。
色濃く流れる被虐の血に招かれ、私は否応なくここに戻ってきたのだということを。


               ‥‥‥‥‥‥‥‥


「あはっ」
青々と稲の眩しい棚田をぬって曲がりくねる坂道を登っていった私は、出迎えの祖父
に気づいて駆けだしていた。自分の民宿をほっぽらかして、わざわざバス停まで出て
くる途中だったらしい。私に気づいて立ちどまる。
「おいおい、女の子がそんな靴であぜ道を走って、転んだら危ないだろうに」
「あらパパ‥‥久しぶりッ!」
ぽんと地を蹴って抱きつく。
あの頃よりははるかに身長も体重も増したというのに、軽く足を引いただけで80歳に
近い祖父は軽々と私を受けとめ、円舞のようにくるりと腰を抱きよせた。
「大きくなったなぁ、しい。腰が抜けるかと思ったよ」
「ウソばっかり、あらパパったら」
ぎゅっと抱きついたままクスクス笑う。
年季をしのばせる深いシワの奥で、強面の祖父もまた豪放磊落に笑っていた。駐在を
定年退職してだいぶ経つが、体の鍛錬は今も続けているようだ。腰にまわされた腕の
強さが、子供時代のなつかしい記憶をよみがえらせる。
『あらパパ』という昔の呼び名が自然にでたのも嬉しかった。
「おじいちゃん」と呼ばれるのを嫌った祖父のあだ名。警察の剣道大会で相当な成績
を残し、『荒ぶる大田』の異名をとっていたことが由来だと聞かされたのはずいぶん
あとの事で、あの頃は意味もなく連呼していた気がする。
「もう大学生だったなぁ。しいは」
「うん。着替えをのぞいたり、子供扱いしたら怒るからね」
言いながら、そういう自分は懐かしいぬくもりに顔を押しつけている。思えば昔から
私はおじいちゃん子だったのだ。お年寄り特有の柔らかな匂いが、不快じゃなく私を
包みこんでくる。
鼻面を押しつけていると、祖父は小さく呟いた。
「綺麗になったな、しい。若い頃のみさおそっくりで、おどろかされたよ」
「母さん、は‥‥」
「分かってる。やはり、みさおは来ないのだね」
誰にぶつけるでもない祖父の言葉は、ほんの一瞬、奇妙に私を醒めさせた。
いまでも母は私よりなお祖父と仲が良い。里帰りだって毎年欠かさず行っていたのだ。
私がまだ4歳だった、あの夏の日の帰省までは。
あの、最後の夏。
血が通った親娘の間に何があったのか‥‥私は知らない。


「そっか。路線バスは集落の外周をかすめているんだ。どうりで」
「不便だろ。何度もバス会社にかけあったが、採算が取れんとか抜かしおる。今じゃ
国道が集落のなかを通っているのにだぞ」
祖父の愚痴を聞きながら、あぜ道を延々と歩いていく。幾層にも重なった水田は風に
なびいて美しく、取りまく山々の青さとあいまって目にしみるようだ。
古くは**荘と呼ばれたこの地域は、行政上は近隣とあわせて一つの村だが、元々は
独立した小さな集落だったらしい。細々と湧く温泉が山裾の観光地より泉質が良いと
わかってからは、秘湯として旅行客も訪れるようになっている。
もっとも、あとはハイキングコースと山海の幸が豊富なぐらいで観光名所さえなく、
それが秘湯たるゆえんなのかもしれない。
「電話でも言ったが、今は民宿も兼ねているから家族水入らずとはいかないかもな」
「ううん、気にしない。年配のご夫婦が二組でしょ。別に私は‥‥」
しゃべりながら祖父の民宿の門扉をくぐりかけ、そこで私ははっと首を傾けていた。
記憶そのままの石塀のわきに、チラリと『なにか』が。
「ねぇ、あらパパ」
「どうした?」
「‥‥昔、ここに柿の木があったよね。人一人、簡単に吊り下げられるくらいの」
そうだ。
ここに、大きな柿の木があったはずなのだ。子供の頃、私は登って遊んでいた記憶が
ある。登るだけでなく、太い枝に縄をかけて‥‥
祖父の表情が変化しているのに気づいたのは、そのときだった。
「しい」
「‥‥え。なに?」
「今、なんて言った? どんな、柿の木だって」
「うん、だから‥‥」
異様に緊張し、こわばった表情を不思議がりながら、もう一度説明しようとして‥‥
ようやく思いいたった私も、ガバッと柿の木の跡に顔を振りむけていた。
『人一人、簡単に吊り下げられるくらいの』
‥‥なんだ、それは。
柿の木なのに、どうして私はそんな連想を思いついた。どこからそんなフレーズが。
「民宿に作り変えるさいに邪魔になってな、切ったんだよ、あの木は」
おだやかな声に顔を戻すと、祖父は背を向け、歩き出していた。私には顔を見せずに。
私は知っている。
ここにあった木には、生白く、つややかな人肌が、縄のきしみが良く映えたことを。
チリチリと、またあの疼きが背筋を這い登りかけていた。


「おや、その方が大田さんのお孫さんですかな?」
「あ、初めまして。香原しのぶです」
宿泊している夫婦二組と廊下であいさつを交わし、私の泊まるべき部屋にたどりつく。
一階に4部屋、二階に2部屋ある客室はすべてゆったりとした和室で、障子のはまった
大きな窓からは、波うつ山の稜線と谷間からのぞく荒ぶる大洋、集落をおおう緑の海が
この高台から一望に見はらせた。
「どうだ、しい。お前はきっと二階のほうが喜ぶと思ったんだが。絶景だろ」
「‥‥うん。素敵」
荷物を下ろしたままうっとりと窓の外を見つめ、ほうとため息をつく。
民宿自体は祖父と仲居さん2人で細々やっていて、祖父を含めた従業員の部屋は一階の
奥まった部分にあった。彼女らにも一通りあいさつをして、ようやく一息つく。
漆塗りの大きな柱時計が、床の間で時をきざんでいた。
「すまんなぁ、しい。孫が来るって、ついつい言いふらしてしまっての」
「もー、あらパパは」
よく冷えたお茶をすすりつつ、軽く口をふくらませたりする。
頭をかく祖父の仕草は無骨ながら柔らかで、さまざな郷愁が心に呼び起こさせられた。
昔はよく、夏休みのたびに母と私はこの田舎に遊びに来ていたように思う。母と二人、
遊びに来ては野山を走りまわったり、迷路のように大きかった屋敷の中を探索したり
したものだ。
それが、4歳の夏の終わりごろか‥‥
よく覚えていない。
けれどあれ以来、母はぱったり帰省しなくなった。私がどんなにせがんでも、泣いて
駄々をこねても母はそれを許さなかったのだ。
そんな思い出話や近況を話し合っていると、柱時計の音が3時をつげた。
おっ、と声を上げ、祖父が豪快にあぐらを崩して立ちあがる。
「さてと。しいが来たばかりなのに残念だが、ちと食材の買出しに行かねばならん」
「あら、あらパパの手料理がいただけるってことかしら」
「うむ。期待しててくれ」
反動をつけてぴょんと立ち上がった私は、ふわりとふくらむワンピースを撫でつけた。
「じゃ、私は少しこの辺を歩いたり、お屋敷‥‥じゃなかった、民宿の中を歩きまわ
ってくるよ。いいよね」
「あぁ、宿泊客には迷惑かけんようにな」
「もう。ずるいなぁ。そうやって大学生を子ども扱いするかぁ?」
じゃ、またあとで‥‥
玄関を出てガレージまで来たところで、祖父がちらりと眉の下から私を見た。
「ただし、裏庭の物置に近づいてはならんぞ」
裏庭の物置。
その単語が持つなにかのイメージと、珍しいほど厳しい祖父の声が私をはっとさせた。
「それって‥‥?」
「と、とにかくだ。整理がつかずに危険なのだよ。分かってくれるね、しい」
鋭い口調とうらはらに、祖父の説明はあまりにらしくないほどあいまいだ。ただ気迫
と剣幕に押されて、私はミニバンをだす祖父を見送るしかなかった。
「なんだろうね、ベス?」
ガレージの片隅に寝そべる、つややかな毛並みの柴犬に話しかける。しゃがみこむ私
を見あげる彼女は、利発そうなつぶらな瞳だった。
「あらパパ、私に見せたくないものがあるみたい‥‥」
見せたくないもの。
やわやわと肌を食む、なめらかな感触。
うっすら淫蕩なほほえみを浮かべる、丸みをおびた白い後ろ姿‥‥
あの時も、そうだったのではないだろうか。急ぎの理由でお留守番をまかされ、私は
無邪気に家の中を探検していた。そうして、言いつけを忘れた私は、つい‥‥
遠い日の、おぼろな夏の記憶。
ちりちりと、甘やかなむず痒さがこみあげてくる。
やはり、夜な夜な目にする続き夢はここにつながっている、そんな気が、ふと、した。


               ‥‥‥‥‥‥‥‥


民宿となった祖父の家に、昔の記憶を重ねて歩く。
改装されたお屋敷はずいぶん奇妙に感じられた。玄関あがってすぐ左手の縁側と12畳
ほどの床の間が、今では宿泊客のラウンジだ。宿泊客用のスリッパに、壁ぎわの置物。
他の客は出払っているのか、人の気配はない。
陽だまりのこぼれる明るい廊下はどこか冷たく、ひやりと心をなでてきた。
時折、なにかのイメージが断片的に心の中をこぼれていく。
なんだろう、ひどく心を疼かせる、なまなましいイメージが、そこに。
二階にはテラスが作られ、部屋を繋ぐ廊下はなぜか不自然な行き止まりになっている。
ありえない記憶との落差に、かすかにうなじが逆立つ。
気のせいだろうか。以前はこの家に、3階が・・・あったはずなのだけれど。
不思議に思ってふりかえり、階段の下をすかしみる。

彼女は、そこにいた。

あらわな裸身をきつく締め上げられ、夢遊病めいて歩く女性の、死人のような白さ。
腰、腕、肩、そして。
くるりと首がねじれ、あざやかな瞳孔の色が。
目をつぶって瞬いた時、もう誰も、影すらも、そこには居なかった。
ストンと世界が浮き上がる。いや、違う。私の膝が砕けてへたりこんだのだ。
全身がおののいている。
ドクン、ドクンとやけに大きな音を立て、心臓が弾んでいる。
じわりとカラダが思いだす、忘れようのない刺激。続き夢と同じ、あの溺れる感触を。

――闇にうかぶ、なまめかしい白い肌。
――快楽にとらわれ、甘くむせんで縛めをねだる私の声。
――ギシリ、ギシリと、みだらな裸身が自由を奪われていく、その耽美な‥‥

怖かった。そこに何を見るのか、私がなにを、思いだしかけているのか。
いま見たものが何なのか。この雛(ひな)の小さな民宿に、何が隠されているのか。
何に出会おうというのか。
怖い。どうしようもなく、怖いのに。
ふらと立ちあがった私の足は、意志を裏切って、カタカタ震えつつ階下へ向かいだす。
まるで導かれるかのように。


庭に出る。
民宿らしく綺麗にととのえられた庭には飛び石ぞいにリンドウやツリフネソウの青み
がかったつぼみの彩りが目を楽しませ、民宿裏手の露天風呂へと続いていた。
人気の絶えた民宿内を、熱に浮かされたように歩いていく。
無人の陽だまりが、全身の毛穴を収縮させる。
もっと低かった。
今はない柿の木も、縁側も、石塀も、あざやかな微笑みも、私は見あげていたはずだ。
なのに、この先を思いだせない。分からない。だから怖いのだ。
あの夏の日に、私は一人きりで何を見たというのか‥‥
「あら、しのぶさん」
「!!!」
ギクッと体が硬直し、全身がバネ仕掛けのようにきしむ。
植え込みの影から、庭を剪定していたらしい若い方の仲居がほほえみかけてきた。
「どうしました。幽霊でも見たような顔をして」
「‥‥」
彼女に知られてはならない。唐突にその思いがわきあがる。
誰かに知られれば、その時は・・・・・・・・・・・・・‥‥
後ろめたさと、怖いもの見たさと、のしかかってくる彼女の暗い瞳と。
記憶に浮かぶあの声は、私への命令そのものだったのだ‥‥
しどろもどろのまま、目をそらした私は仲居の視線を振りきって、裏手に回りこんだ。
景観のために低くなった石塀と客室の広い窓との境をぬっていく。
突き当たりの木戸を押し開け、露天風呂のある裏手へ。
「あった」
庭掃除のための新しい倉庫の裏手に隠れるようにして、古びた木製の物置があった。
近づくな‥‥祖父の警告がふっと思い浮かぶ。
だが、雑草を踏み分けて近づいた私は、その中へと入っていく。
むっと鼻をつく、ホコリとカビの匂い。
古い三輪車や、子供の水遊びプールや、懐古心をくすぐられる品々にまじってソレは
あった。一つだけ奇妙に、厳重に荷造りロープで縛られた、無地の箱だ。
直感に導かれ、私はその外装を引き破っていた。前髪を掻き分け、うすく汗のにじむ
おでこをあらわにして作業を続けた。
もどかしさはいつか焦りに変わっていた。
わざわざこの場所に祖父が隠したかったものとはなんだったのか。
力を入れすぎたせいか紙包みがはじけ、しりもちをついた周囲にいくつか落ちていく。
拾いあげ、私は小さく息を飲んだ。
それは、田舎の民宿にはあまりに不釣合いなその中身。
古びた女の子の体操着にブルマー。どこかゾクリとさせる造形の革紐で編まれた何か。
いいえ違う。何か、じゃない。まぎれもなく、これは。
ドクン‥‥
あらがいようのない激しい動悸が不意に波打ち、カァァッと耳たぶまでも火照らせた。
わからない。どうして動揺しているのかも。どうして、手が震えているのかも。ただ、
チリチリと甘く倒錯した予感がうなじを這い上がり、淫らな期待にカラダはおののく
ばかりなのだ。
続き夢そのままの、はっきりカラダを溶かしていく、ほのぐらい背徳的な昂ぶり。
初めて見たはずの革紐を、私の手は滑らかに動き、元の形へとほぐしていく。
掌に吸いつき、絡みつく革紐の妖しい感触。
ダメ。戻れなくなるのに。見てはいけないのに。
このままむしばまれていったら、私は、本当に後戻りできなくなるのに。
なのに。
‥‥広げた両手から、だらりとそれが垂れ下がった。
いまにも女性のカラダを食らい、自由を奪わんと待ちかねている革製の拘束着が。
SMの、奴隷を躾けるための調教器具が。
「あぁ」
呟きは、口にしたのか脳裏をよぎったのか。
もやがかっていた断片的な夢のイメージが、完全な輪郭をあらわした。


――真夜中の、黒々と照り返す水田のあぜみちを。
――見あげる月をさえぎった、たおやかな白い肌を歪ませる、女性の影。
――裸身に食いこみ、後ろ手に自由を奪う拘束は、すべて女がみずから望んだこと。
――自ら身に施した縛めは二度と抜けだせぬ、残酷に奴隷を嬲りつくす快楽の罠‥‥


妖しく、誘うように、誘惑するかのように、革独特のきしみが私をくすぐってくる。
私を射抜いたあの瞳は、これをいざなうものだったのだ。
私自身が、のぞんで、あらがいがたい快楽の、縛めの罠に堕ちていくようにと‥‥
続き夢は、既視感デジャヴの先触れ。
「‥‥」
くらりと目が眩み、気が遠のくのを人ごとのように私は感じていた。


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