遠き夜の影 その2

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カラカラ脱衣場の引き戸を開けると、裏庭を大きく作り変えた露天の浴場が広がった。
女湯の方が広くとってあり、男湯との境に作られたおなじみの桟の仕切りが旅情緒を
そそっていた。物置のある東側は植え込みと垣根で隠れ、圧迫感を感じさせない。
「うん、イイ感じ」
一人きりでたたずむ露天風呂は、のびのびと開放感にあふれていた。
乳白色のラジウム泉がたゆたう浴槽は岩風呂で、湯舟につかったまま稜線の谷間から
海へ沈んでいく夕陽を見せるためか、南側の垣根が低い。棚田を淡くなめる夕暮れの
壮麗さは、なるほど秘湯の名にふさわしかった。
「これが、昔の実家か。不思議」
ボディソープをあわだてながら一人言をつぶやく。
見慣れぬ民宿の風景にときおり重なる、子供の頃の『お屋敷』の記憶。
そして‥‥
カラダを洗い流し、熱めの湯に爪先からすべりこんで私は両手を伸ばした。パラリと
広がったそれが、水着めいた、きわどいタイツ状のフォルムを明らかにしていく。
照り返す夕陽を吸いこむ、つややかな革の黒光り。
濡れタオルで汚れをぬぐいとられ、残酷な光をはなつ全身拘束衣だ。
「‥‥」
意識せずに喉がなっていた。
うつろな部分に、柔らかな女の肢体が閉じこめられているさまを妄想してしまう。
紐ビキニよりなおソリッドな革紐にぷっくりした股間の土手を弾きだされ、ウェスト
を淫猥にくびられてむきだしのオッパイとの対比を強調され、それにあきたらず首輪
につながるチェーンが手錠と二の腕・胴体を繋ぐ枷を拘束してしまう‥‥
まさしく、純粋な奴隷をうみだすための装置。
女性のカラダを虐めぬき、くびりだし、マゾとして拘束して辱めるのが目的の衣装だ。
SMの何たるかぐらい、私も知識として知ってはいた。
問題は、なぜそれが祖父の家の、長いこと使っていない物置にあったのか、だ。
祖父の警告はこの事だったのか。ならばどうして、あんな古びた道具を捨てずに保存
しておいたのか。夜な夜なうなされる続き夢とのかかわりはあるのだろうか。

――夜はケモノばかりのものではないのだよ、しい――

ふっと夕食時の奇妙な謎かけを思いだした。
ヒメダイのしゃぶしゃぶにまいたけの土瓶蒸し、懐かしい山菜のおこわ。旬の山菜と
海の幸を堪能しながら、私はそれとなくあのことを聞いてみたのだ。
祖父なら、昔のように私を安心させてくれるはずだから。
「じゃ‥‥仲居さん2人と年配の主婦二組、それに私たち。本当にそれだけだよね」
「あぁ。調理師は私が兼ねているしな」
「幽霊がでたとか、そういう因縁にからむ事件とかもココにはないよね」
「どうした。こんな田舎に、泥棒でもいたのかね」
一瞬口ごもって祖父を見つめた。ウソをつく色ではない、愛情のこもった瞳に問う。
「なら、若い裸の女性が、昼間廊下にいるわけ・・・・・・・・・・・・・・・・・、ないよね?」
「‥‥」
強面の祖父は。
否定してくれるはずだった、軽く笑い飛ばしてくれるはずだった祖父は。
その瞬間、はっきりたじろいだ。
「あ、あらパパ?」
「そうか‥‥そう、記憶、か」
まるでなにかを諦めたかのような、疲弊した声。不安がみるみる膨れあがる。
「行き場のない記憶が、さまよっているのかもしれないな」
「どういう意味なの」
底なしの沼に飲まれたように、ウブ毛がチリリと尖っていく。
祖父は答えず、かわりに伸ばした無骨な掌で私の手を握りしめると言った。
まるで、詮索を咎めるかのように。
「夜はケモノばかりのものではないのだよ、しい」

――では、一体。
――夜は、誰のためのものだと言うのだろう。

風呂場を包む無音の気配に、じわりと汗がにじむ。
気づけば、残照の欠片が沈み、急速な闇が稜線をむしばむようにサワサワみちてきた。
秘湯と呼ばれる雛の夜は早い。その昏みはなにより濃い。
なのに。私は、4歳のあの夜、身をもってそのことを思い知ったというのに。
「‥‥」
誰もいない、人の気配のない岩風呂に、一人きり。
チャプンと指先で湯を弾く。一度、二度。くりかえし、なんどとなく。自分の存在を
誰かにアピールするような仕草で。うなじをお湯の波がくすぐっていく。
‥‥なぜだろう。
こんなにも温まった私のカラダは、冷や汗にまみれていた。

             ‥‥‥‥‥‥‥‥

和室に敷かれた布団にもそもそ浴衣でもぐりこむ。山あいのこの地域の夜は涼しく、
むしろ早朝の冷え込みに気をつける必要があった。小さな悪寒と小さな疼きを躯の芯
に感じ、いっそう深くもぐりこむ。
悪寒は昼間のアレ、そして疼きはもう一つの、コレだ。
(どうしよう、私。結局、あらパパにも隠しちゃってるし‥‥)
悪いことをした後のような後ろめたさにかられつつ、胸に抱きよせた拘束衣を撫でる。
キュキュッとした革の感触にカラダがわなないた。
誰のものとも知れぬ、調教の名残として残されたSMの器具。
この道具を使わされた女性はどんな反応を示したのだろうか。その汗も、みだらな雫
も、拘束具が吸い取っているのだろうか。折りたたまれた体操着は、淫らなひととき
を快楽に染める躾け着だったのだろうか。
‥‥そもそも、拘束されるという感覚は、どんなものなのだろう。
あれほど大切に箱に閉まいこんでおくほど、気持ちイイものなのだろうか?
「‥‥」
理性のどこかが、今日の私は変だと告げていた。
神経が昂ぶっていて、横になってもなかなか寝つけない。それにポッポッと火照った
カラダが、夜の静寂を意識しすぎてしまうのだ。
宿泊客と仲居さんたちのいる一階には、物音がほとんどない。すでに寝ているようだ。
私がこの部屋で何かしたところで、ううん、仮に廊下まで出歩いたとしても、誰一人
気づくことはないはず‥‥
ひりつく欲求はたえがたく、悶々と寝返りを打っていた私はついに布団を抜けだした。
煌々と、障子ごしに月光が世界をてらしだす。
静謐な光にうたれた薄闇は日常の輪郭を失い、非現実的に、どこか幻想めいていた。
ふらふら歩き、革の拘束衣をハンガーにかけて指でなぞる。
女性のカラダを計算して作られた衣装。
悩ましいほど細い革紐が空洞のブラのようにオッパイを周囲から絞りウェストを締め
あげる。革紐同士は小さなリングで繋げられ、首輪、二の腕に嵌める腕枷、そして手
枷のすべてが一体化するようにできているのだ。
この中に、自分のカラダを入れてみたい。
湯ざめもせず火照ったこのカラダを、奴隷としていやらしく彩ってみたい。

――しいちゃんも、調教されて、みたいかしら?

柔らかな記憶が、耳朶を甘くくすぐった。
奴隷の私。拘束されてしまった私。恥ずかしく身悶える私。
何の抵抗もなく浮かんだイメージが、みるみる実感をおびて私の意識を支配していく。
コクンと生唾を飲み下した。
ためらう必要なんかない。気になるなら、試せばいいのだ。
いつだって脱げるんだから‥‥
加速する思考に背を押され、邪魔な浴衣を脱いだ私は裸身をあらわにした。拘束具を
じかに着るべきかためらい、ほんの少し迷って例の箱から体操着をとりだす。
トクンと胸が締めつけられた。
かって調教を施されていた女性と同じしつけ着を着て、拘束されようとしている‥‥
そのことに、妖しいばかりの息づまる陶酔をおぼえたのだ。
体操着は、桐の箱で丁寧に保存されていた。時代を感じさせる紺のブルマに足を通し、
半袖Tシャツを身につけた。ショーツは履きっぱなしだが、ブラのない乳首の辺りが
すれてムズがゆい。素肌にまとわりつく布地が無防備な姿を自覚させる。
広げた拘束具に手を伸ばす。
その後は、ただただ奇妙な熱に浮かされたようだった。
もどかしい手つきで上半身に革紐をまとわりつかせ、あちこちの金属リングに革紐を
通してはベルトの長さを調節してバックルで絞り上げ、みっちり吸いつく革の腕枷を
二の腕に嵌めて、ナスカンで胴体を這いまわる革紐と繋ぎ合わせて手の自由を奪う。
あまりの興奮と羞恥に、意識はもうろうとしていた。
なぜ、奴隷の証である黒革の首輪を巻きつけていくと、心がキュンと痺れるのだろう。
どうして、拘束衣のベルトを絞ってオッパイの根元からぎゅうぎゅう張りつめさせる
のがこんなに甘く気持ちイイのか。ブルマのお股に革紐でわいせつなくびれを作られ、
裂かれたお尻をひくひく蠢かせてしまうなんて。
私の姿が惨めになればなるほど、いいようのない感慨がわきあがってくる。圧倒的な
官能に翻弄され、冗談などでなく、本当に快感を感じているマゾになったかのように、
私は吐息を押し殺してしまっていた。
「ンッ‥‥」
甘い声に自分自身おどろきながら、左右の手首に手枷をまき、手首のナスカン同士を
繋げて背中のあたりでカチリと固定する。
後ろ手での、拘束の完成。
音もない静謐な世界に、はぁはぁと乱れた吐息。
これが‥‥この姿が浅ましい奴隷の基本姿勢なのだと、私には分かっていた。
抵抗のすべを失った、従順な服従の姿勢。
動悸は激しくなっていた。
頬が熱く、下腹部だけがどこかトロリと潤んでいた。
名も知らぬマゾの女性と一体化することが、こんなにもカラダを火照らせるなんて。
なぜSM初体験の私が手際よく全身を拘束できたのか、そんなことさえ忘れてしまう
ほど気分は高揚していた。カラダを流れる血液すら感じられるくらい夜はあざやかで、
ゾクゾクした愉悦とともに新しい認識が流れこんでくる。
エッチな気分がこみあげて、むずむずとたまらなくて、けれど焦らされるばかり。
不自由な快感を噛みしめて、むさぼって、いじらしく耐えること。
それが私の‥‥マゾのありようなのだ。
へなへなと膝立ちになり、そのまま力が入らずに布団にうつぶせになってしまう。
「はぁ、はっ‥‥っふ、ハァ」
いつのまにか、拘束された後ろ手の指をしっかり固く握りしめていた。
恥ずかしい姿。発情してしまった姿。本当の、なまなましい私。
こんなところを人に見られたら‥‥
「!!」
ガバッと起き上がった。まさか‥‥この拘束衣、一人で脱げる構造なのだろうか?
革の手枷をキリキリ鳴らし、必死に腕をよじって手首をつなぐナスカンに指を伸ばす。
外せなかったら、祖父や仲居さんに何もかも知られてしまう。
肘の上あたりにビッチリ吸いついた腕枷がオッパイを締める革紐とつながっていて、
上半身の自由はほとんど奪われている。動かせぬ肘をくねらせ、軽いパニックの中で
私はナスカンをまさぐった。上体がうねり、バランスを崩して芋虫のように布団の上
をはいずってしまう。縦に食い込む股間のベルトに啼かされながら、どうにか指先で
手枷のナスカンを外し、手首は自由になった。
もう一度掛ける。外す。
ふたたびナスカンを嵌め、自分を後ろ手に拘束してみた。
‥‥大丈夫だ。
かなり窮屈な仕草だけど、いつでも自力で外せる。問題ないのだ。
大きく息を吐くと同時にけだるい疲労に襲われ、私はくてっとうつ伏せに伸びていた。
すっかり鋭敏になった素肌が、裸身をかけめぐった焦燥感の余韻を味わっている。
不自由な指を開いたり、閉じてみたり。
今の一瞬。
外せないかも‥‥卑猥な秘密を知られてしまうかもと思ったあの一瞬‥‥あれは。
裸にさえなっていない。ただ拘束衣を着てみただけなのに。
しぶしぶながらも、私は認めざるをえなかった。
「‥‥うぅ、感じてた」
誰にともなく拗ねてつぶやき、その声にこもった色香にドキッとしてしまう。
私も、この道具で調教されていた女性と同じ感覚を持っていたわけだ。もしあのまま
トラブルでも起きて縛めから抜け出せなければ、もっと感じてしまっていた‥‥
なんとなし、もどかしさに突き動かされて這いずり回ってみた。
ブルマが、体操服が、布団とすれあって、ノーブラの乳房にむずむずした奇妙な刺激
をあたえる。みじめったらしいその動きが、また奴隷めいてゾクゾクするのだ。
ようやく腰を浮かしかけ、ふと視線が動いた。
しらじらと月明かりを受けて、部屋の隅の鏡に卑猥な女性の拘束姿が映りこんでいた。
あらわな肢体、妖艶なまなざし。媚びるように腰をよじる仕草。
ぞっと、動揺が全身を走った。
どうして、私‥‥この女性に、見覚えがあるの‥‥‥‥
初めて、じゃ‥‥ない‥‥?


――眩しい月の光の下で、訪ねられたあの人が答える。
――快楽そのものを心のひだに塗りこむように、一語一語濡れた唇で。

――今に分かるわ。どうしようもないこの無力さこそが、最高の快感だってこと――


意識をよぎった何かに、はっきり私は汗をかきはじめていた。
恐怖と、陶酔と、おそれのまじった汗。ほんのささやかな可能性を見出してしまった
ことへの冷や汗だ。マゾの、奴隷だけが味わえる特別なこの感覚を、カラダはすでに
おぼえてしまったのだから。
だから、さらに危うい欲求を抱いてしまった私を、私の理性は止められない。
もし、本当に外しようのない絶望的な拘束をされてしまったら、どんな感じだろう?・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・
私は‥‥どれだけ乱れてしまうのか。
縛りあげられた奴隷の姿そのままに、よろよろと立ち上がる。
たしか、本当に自分で自分を縛りあげるためにはアレが必要だったのではなかったか。
ナスカンの代わりに使っていた、アレが‥‥
「‥‥」
いつか鼻息があらくなり、恥ずかしいぐらい興奮してしまっている。
昂ぶる動悸を抑えてSMの道具を収めた桐の箱に向かい、後ろ手のままひっかき回す。
なぜ忘れていたんだろう‥‥なぜ、私は知っているのだろう‥‥
冷やりとした感覚が、私を現実に呼び戻した。
これだ‥‥
うなじをかたむけ、後ろ髪をはらって目にしたそれは小さなダイアルロックだった。
ダイアルは2つ。一度嵌めたら、二桁の数字を入力しない限り外せない。
そして私は、解錠ナンバーを知らない・・・・・・・・・・・・。
ドク、ドク、ドク‥‥
心臓の音が異様なほど大きく、ふたしかに乱れていた。
分からない。なんでこんな事を、こんな淫らな調教を始めてしまったのか。
‥‥震える指がナスカンを外す。
元はといえば、物欲しげに光沢を発する拘束着を目にして。
悩ましい革の内側に、火照った女体をびっちり押し込めてみたいと思っただけなのに。
いつの間にか私自身が、その贄として拘束を施され、奴隷に堕とされてしまう‥‥
‥‥左右の手枷の金具を束ねてダイアルロックのU字バーを通す。
こんなにも。
かたかたと指先が震えて、全身がわなないて、乳首が固くしこってしまって。
取り返しのつかない絶望に、奴隷の身を待つ無防備な危うさに、おののいているのに。
本当のマゾになんてなりたくない、快感なんていらないと心が訴えかけているのに。
自由を奪われるのが、こんなにも怖いのに。

‥‥‥‥チキキッ、と。

オンナとしての自由をあまさず剥奪する音は、私の耳に快く響いた。
もはや。
もはや私は。
「ふぅぅ‥‥んく、んふッッ‥‥っっ、」
ケモノのあえぎにもにた、くるおしい吐息がとめどなくこみあげた。
ギリッと背中で両手をひねり、びくびくと上体をくねらせ、布団に擦りつけていた。
どんなに身じろぎしても、悶えても。もう決して、この鍵は外れないのだ。
カラダがどうしみようもなくギュチチと拘束衣にあらがい、女の喘ぎをあふれさせる。
手枷同士を繋ぐナスカンとダイアルロックでは、窮屈さに差なんてないのに。
同じように、ただ後ろ手に拘束されているだけなのに。
信じられないほどの変化だった。
体操着の下では素肌がカァァと熱をおび、うるおいだした裸身は残酷な縛めの感触を
愉しむようにくねりだしている。ギッ、ギシシと、裸身のいたるところに食い込んで
くる拘束衣のいやらしさ。ぷっくり張りつめたオッパイが、うつぶせの体重でつぶれ
鈍い痛みにかはぁと喘ぎをこぼしてしまう。
ウソだ。私、本当は普通の女の子なのに。SMなんて、今まで興味すらなかったのに。
なのに‥‥
私は確実に昂ぶり、濡れてしまっていた。
「イイ、あぁイヤァ、嫌なのに、感じてる‥‥感じてるぅ」
うわごとのように何かを口走っていなければ、抑え切れないほどの快楽の波。
しとどにあふれだす快感は下腹部をぎゅうっと収縮させ、自分からモジモジ太ももを
よじって、ブルマの上からぐいぐいお股を割り裂いてくる革紐に、敏感な肉の部分、
充血しているだろう土手の内側さえも擦りつけずにはいられない。
浅ましさで顔は真っ赤に染まり、目をあけていられなかった。
縛り上げられた後ろ手をモゾモゾ蠢かし、懸命に裸身を揺すりたてて不自由な刺激を
むさぼろうと跳ねてしまう。拘束されて、自由を奪われて、ただそれだけで。
つぅんと、はるか遠くから、アクメの高波がじわじわと迫ってくる。
布団の端を噛みしめ、必死になって私はその高みに昇っていった。恥も外聞もなく。
本当に‥‥私は、奴隷に。
淫らな奴隷に、なってしまったのだろうか?
「ぁ‥‥ふぁァ‥‥‥‥」
ひときわ、きつい衝撃が神経をすみずみまでつきぬけていく。
もどかしさの果てに、奴隷のカラダに与えられたささやかな絶頂の、その甘さ。
意識が遠くさらわれていく。
あの、続き夢の中でむさぼる、現実のできごとのように‥‥‥‥

               ‥‥‥‥‥‥‥‥

歩いていた。
ながく、ほそく、くねった棚田にそってどこまでも無人のあぜみちが続いていく。
世界はあまりに広すぎて、私はあまりに小さくて、だからよろよろとついていくのだ。
ここは家から遠すぎた。私をまもってくれるすべてが、あまりに遠く、とどかなくて。
月の明かりだけ、こわいくらいに強くて。
ふと、足をとめる。
私が握っていた紐の先には、おんなのひとがいた。いつも、私をつれていくひと。
高くてしなやかでやわらかなその背が、ついとふりむく。


――煌々と、照らすは丸い月の光で。
――狂気をはらみ、不自由な少女を追いたてる満月が見下ろしていて。
――うずくまる少女の前に、誰かが立っている‥‥


ガバッと意識をわしづかみにされ、私はほとんど飛び起きた。ガクリと全身がのめり、
再びうつぶせに枕に突っ伏してしまう。
瞬間的にカラダからにじみだす、汗。汗。汗。イヤな感じの、冷えた汗。
あの夢だった。
この頃、良く見る夢。やはりあの光景は棚田だったのだ。ただ、夢の内容はいつもと
違っていた。私の前に立ち尽くす、逆光をうけた背の高い影。初めて見る影。
その顔は見えなかった‥‥
冷気がひやりと首筋をなであげる。
掛け布団に頬をすりよせ、ようやくここが民宿の部屋だと思いだした。
ちりちりとした焦燥感が走りぬけ、理由を思い出せすにいるうちフワッと去っていく。
朝の光景。外はあくまで音もなく、空気までが静謐だった。
全身が鈍くきしみ、自由に動かせない。わけが分からず肩をくねらせていると、部屋
のドアがひかえめにノックされた。もう一度ノック。
ぼんやりした声で答えて、ドアの向こうにいるのが仲居さんだと気がついた。
「おはようございます、しのぶ様。おじい様がお呼びです」
「ふわぁい。待ってて下さいね‥‥」
「それと、よろしければお布団を片づけさせていただきますが」
「あ、はい」
答えて両手をつき、起き上がろうと‥‥
その手首が、背中に張りついたままギジリといやらしい革の軋みをたてた。
「え?」
手が、動かせない‥‥まさか!?
ギョッとして視線を布団の中に落とす。
そこには。
しっかり喉元に吸いついた、嗜虐的な光沢の首輪がはまっていた。
それだけではない。上体にも。汗を吸ったブルマの食い込む股間にも。無数の革紐が、
妖しく全身を縛りあげている。ひやりとする認識が、目覚めた瞬間の焦燥感の理由を
ようやく理解していた。
私は‥‥イッてしまったあの瞬間のまま、後ろ手に手枷を嵌められた奴隷そのままの
拘束姿だったのだ。しかも、手枷のダイアルロックを外す番号さえ、私は知らない。
絶体絶命だった。
布団のわきには、脱ぎ捨てたままの浴衣。今、入ってこられたら、私は‥‥
「!!‥‥ま、待っ、入っちゃダ‥‥」
「失礼します」
きいと音を上げ、部屋のドアが開いた。


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