遠き夜の影 その3

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思わず尺取虫のように全身を弾ませ、私は必死で布団溜まりの中にカラダをうずめた。
はだけかかった布団に、あらわな首輪と体操着。とどめに奴隷の躾け着。
絶体絶命の状況は、まさに扇情的なあぶな絵そのものだった。
下着を剥かれ体操着とブルマのみで、わいせつな模様を描く革拘束を喰い締める裸身。
汗でへばりつく生地は、肌と一体化してピチピチに躯の輪郭を浮きあがらせている。
上掛けは脇に追いやられ、うつぶせのカラダはほとんど布団からこぼれだし、手首を
噛む束縛もお股に埋もれた革ベルトも見せつけんばかり。
胃のよじれるような痙攣がこみあげる。体を隠すのに間に合ったのか、それとも。
「‥‥」
開いた戸口から、畳に影が落ちた。
まぶしい朝日が戸口に立ち尽くす仲居さんの横顔を照らし、しぃんと静寂がのびた。
小豆色の着物。2人の仲居さんのうち、厨房で働いていた50代くらいの女性だ。
民宿の朝の、透明な空気が廊下から流れ入ってくる。
鳥かなにかの鳴き声が遠くこだます。
くしゃくしゃの布団にくるまり、首を縮めた私はおびえた瞳で彼女を見あげていた。
むりもない。一見寝坊めいた普通の朝の光景。けれど掛け布団一枚はさんで、私の躯
はムチャクチャなマゾの拘束具を着せられ、施錠まで完璧に施されているのだから。
今すぐダイアルロックをいじっても、奪われた自由を取りもどせる確率は99分の1だ。
この不自由な捕らわれの身のまま、この仲居さんと普通に会話しないといけないなん
て‥‥
喉がひりつき、声はすぐに出そうもなかった。
間一髪の恐怖に後から手足が震えだし、おこりのようにおののきを繰りかえすのだ。
心臓が口から飛びだしそうで、ぐにゃぐにゃに意識がゆがみだす。
「おはようございます、しのぶさん。どうですか、よくお眠りになられましたか?」
「あ、ふぁ!‥‥ん、あ、はい」
かぼそい返事が一瞬かすれ、あっというまに裏返りかける。
声を出そうと身じろいだ瞬間、全身をドクンと、圧倒的な被虐の奔流が貫いたのだ。
革ベルトに絞りたてられ、否応なく発情した状態にカラダをもっていかれそうになる。
な、何が、どうして起きたの‥‥
何気ない身じろぎだけで、快感を覚えてしまったとは、すぐには信じられなかった。
電気ショックのような愉悦が、ずくずくと全身に沁みわたっていく。
ブルマの下で充血した肉芽。もっとも敏感な女の突起に‥‥クリトリスに、濡れそぼ
った生地もろとも、なすりつけるように拘束衣の革ベルトが喰いこんできているのだ。
ひく、ひくっと自動的にカラダが痙攣するたび、全身を包みこむ窮屈な衣がお互いに
チリチリ擦れあい、頭がぼうっとなるほどのエッチな感触をじかに流しこまれるのだ。
上気しだしたカラダをじっとりと覆うのは寝汗か冷や汗か、それとも、もっと卑しい
行為への前兆か。
微笑んでいた仲居さんの顔に影がさす。
「‥‥しのぶさん? お目覚めですか。お爺様がお呼びですよ」
「あっ、は、はい」
翳る表情の変化にさえ、ゾクゾクッと全身が軋みかかっていた。
気づかれたの? 私がマゾだって‥‥ううん違う、普通なのに、自分で拘束して自慰
に耽ってるいやらしい子だと思われ‥‥じゃなくて、えっと‥‥私は‥‥ジクジクと
アソコを熱くしちゃっるだけで‥‥
何もかもグチャグチャだった。動悸だけが激しく、体中がわなないている。
見られたいなんて、それも同性に恥ずかしい行為を一部始終を見られたいなんて思う
はずがないのに、カラダだけがどんどん変に、仲居さんの視線ばかりを意識して反応
しそうになる。
いけない、このままじゃ本当にダメ、どんどん悪化していく‥‥
「とにかく寝坊はよくありません。お爺様から、布団を剥いででも連れてきて欲しい
とのお話ですから、ちょっと、ゴメンなさいね」
「や、ヤダッ、まさかちょっ‥‥部屋に入っちゃ‥‥」
私が寝ぼけていると思ったらしく、仲居さんが踏み込んできた。
縮みあがる躯の奥で、女の芯がグズグズに溶けだしていた。お願い、来ないで‥‥必
死な祈りとうらはらに、追いつめられれば追いつめられるほど、拘束された手足から
力が抜け、瞳がとろんと被虐の情に溺れていく。
彼女は気づくだろうか。
この部屋にこもった猥らな気配に。寝汗と共にこもった空気が、匂いたつ女の色香を
たたえて室内にこもっていることに。夜の間ずっと自慰に耽っていたその残滓に。
「だ、だいたいどうして勝手に入ってくるんです。私、お客ですよ」
「部屋のカギ、開いていましたので」
「え‥‥?」
「ふふ、しのぶさんの言うとおり今は民宿ですから、起こされたくなかったらカギを
かければよかったんですよ。さ、早起きの恨み言はお爺様にお願いしますね」
そんな‥‥
ショックだった。たしかにそうなのだ。あんな危うい遊びをすると分かっていながら、
夜に起きだした時、カギの事なんて思いもよらなかったのだから。
まさか、私は、本当は、見られたがっている?
信じられない、そんなの異常だ。
でも、だったらどうして、こんなにも私は発情しちゃっているの?
答えのない問いかけで真っ白になっている枕元に、仲居さんが立っていた。
まだ気づかれていないのだから、かろうじて首輪も拘束も布団に隠れているのだろう。
けれどそれももう終わり。逃げ場はない。このまま布団を剥がれて、なにもかもを、
無抵抗な拘束姿を見られて、私はジエンドなのだ。
甘い絶望に酔いしれた私は、布団の下でひっきりなしに太ももをすりあわせていた。
うつぶせのまま、引き攣った後ろ手が革枷にあらがってキュウキュウ軋んでいる。
屈みこんだ仲居さんの手が布団にのびる。
ギュッと目をつぶり、私は耳まで紅くしてその刻を待った。
ほどけない、抜け出せない、浅ましい自縛姿のままで‥‥私は‥‥‥‥!
「‥‥」
「‥‥‥‥」
「‥‥‥‥」
長い、沈黙があった。
おそるおそる目を開ける。
枕もとに脱ぎ捨てられた浴衣をつまみあげる仲居さんの不審な目がそこにあった。
折り畳んだままではない、一度着た痕跡そのままに乱れた浴衣。
私が今、奴隷の拘束衣以外に何も着ていないことをしめす証拠を手に戸惑っている。
「あの‥‥しのぶさん、これは?」
「あ、え、えっと」
言いかけた瞬間、ぱっと頭のどこかで閃いた。そうだ、だから。
「わ、私、裸じゃないと寝つけないタチで、だからその、あの‥‥」
「え?」
自分でもギョッとするような嘘が口からこぼれだす。
明らかに年のいった仲居さんがたじろいだ。何を言い出してるの私。そんな、だって。
「布団を剥がないでください‥‥裸なの、見られたく、ないので」
やっとの思いで、言葉を搾りだす。
あっけにとられている仲居さんの表情をみて、そこでようやく‥‥私は確信した。
「そう、そんな‥‥そうでしたか。失礼しました。では、下でお爺様が待っています
ので、しのぶさんも早めに来てくださいね」
「は‥‥い」
いたずらを失敗した子供のようにお茶目なため息を吐き、仲居さんが部屋を出ていく。
もう限界ギリギリの裸身を布団の中で抑えつけ、扉が閉じ、階段をおりきった音まで
確認しおえてから‥‥
「んぁっ、ぁぁぁァン、はぁぁァン!!」
待ちかねたかのように、長く長く、とめどなく高いよがり声が口をついていた。
爪先からそっくりかえるほどの衝撃が、下腹部の芯をゆすぶり、髪の毛まで逆立てて、
のたうつ私を布団の中へ打ちのめしていた。
見られながら懸命にこらえていた、喉元までこみあげていた、あの奇妙な衝動が‥‥
何倍にもなって渦巻き、一気に押し寄せてきたのだ。
ツンと上向く乳首を妖しく透かして体操着をへばりつかせた乳房がそそりたっている。
意識が集中して尖りきった過敏な器官を体操服と上掛けが二重にこする。たまらない
嬲り責め。もどかしい刺激の炙りだしに、焦らされて焦らされて欲情はとめどなく、
舌足らずな喘ぎ声なんて全然足りなくて。
本当に私は、なにも分かってなんかいなかった。
縛られただけで、不自由になっただけで、施錠しただけで、どうしてこんなエッチに
乱れきってしまうのか。一人遊びだって経験あるけど、こんなハードなのは初めての
はずなのに。
その理由に気づきもしないまま、カラダばかりが反応している。
お股にもぐりこむ拘束衣。過敏に爛れた突起にあたる革ベルトがざらざらしていて、
ブルマの生地ごと、鋭角な刺激を神経に送り込んでくるのだ。
「くっ、キ‥‥ひ、きひッ」
ケモノめいた呻きを漏らして後ろ手をギュッと握り、布団の中を転がりまわる。
初めてじゃない。慣れ親しんだ、懐かしい感覚だといわんばかりに、すみずみまで。
気持ちイイ‥‥イイ‥‥
すごい感じてる‥‥うん‥‥、
あの時の、何倍も・・・・・・・・‥‥!!
本当にカラダの芯から、ずっと前から躾けられていた奴隷のように快楽が、愛液が、
ひくひくしたひきつけがわきだしては私を飲み込むのだ。
あふれだす刺激をこらえると、それはまるでカラダの奥を喰い散らす勢いで暴れ狂う。
「んぁ、やぁ‥‥」
もう無我夢中だった。
全身を揺すって布団を引き剥がし、部屋のすみに放り投げる。
不自由な拘束姿で膝立ちになり、緩むはずない拘束衣の下で思いきり身を揉みねじる。
これでもう、私は隠れることもできない。
唯一の逃げ道を失い、緊縛されたブルマ姿をさらしてしまうことになる。そうして、
自分を恥ずかしい立場に追い込めば追い込むほど、じかに触ることのできないお股が
ニチャニチャと水音をたてるようになっていく。
拘束衣の末端がもぐりこむお股に目を落とし、連動する後ろ手の手枷を弾ませてみる。
ズルズル股間を擦るベルトの快楽は、はしたない光景に反してあまりにも淡く、胎内
にこみあげる淡い快楽のギャップが私自身を焦らしていく。
一晩分の快楽と汗をすった体操着はべっとり肌になじみ、アダルトビデオさながらに
ブルマの中央がくびれて女性の部分にまで深く食い入りかけている。
何度となくのたうち、ビクビクと上掛けの中で跳ねまわった。
急がなきゃ‥‥早く下に行かなきゃ‥‥じゃないと、また来ちゃう‥‥
焦燥感がかえって全身を昂ぶらせ、拘束を外そうとする試みを無意味なものにする。
目で確認できない後ろ手での作業、それも一つづつダイアルを合わせてから、手枷を
左右に引っぱって外れるかどうか調べる、気の遠くなるような作業の連続なのだ。
じきに番号が分からなくなり、ただ機械的に指先をのばしてダイアル錠に触れながら、
私はいじましいオナニーに没頭していった。
「あっ、ンァァッ、ンーーーー!!」
声を噛み殺して押し殺す切なさ、いじましさ。我慢すればするほど、カラダの奥から
甘い余韻がわきあがり、ひたすらに自分で蹴散らした布団に顔を埋めて喘ぎ声をこら
えるしかないのだ。
たまらない‥‥カギなんかどうでも‥‥また、また私、おかしく‥‥
尺取虫のようにうつぶせでお尻を掲げ、私はひときわ大きく全身を突っ張らせていた。
お湯の中でたゆたうように、いつまでもいつまでも、ビクビク尾を曳いてイキ続ける。
朝から、破廉恥な、私は‥‥


              ‥‥‥‥‥‥‥‥


澄んだ陽射しをうける峰々と、そのはざまで揺らぐ海を見やりながら、裸足を下ろす。
冷やりとする敷石のきめが足の裏に心地よい。
広がる、開放的な眺め。
ひとりきりでつかる朝湯は、また格別な叙情があった。
一晩中放置されてしとどな体液にまみれた躯を丁寧に清め、露天風呂に身をゆだねる。
車の音も雑踏もなく、風にあおられる木の調べにただ耳を傾ける。
戸外の開放感と、静けさと、止まった時間を味わうことが、ここでの贅沢なのだ。
――そして、秘め事にふけることも?
もう一人のイジワルな私が心で囁き、初心な私が赤くなる。膨れ顔のまま、私は朝食
の席でのことを思い返していた。

「‥‥思いだしたぞ。たしか、しいは子供のころから朝寝坊だったな」
呵々と笑う祖父にむくれて山菜の小鉢へ箸をのばす。
食欲をそそる香りを放つアユの炊き込みご飯にさっぱりした風味の味噌汁、湯豆腐に
漬物、きのこの山かけの小鉢。宿の朝食は、3人で切り盛りしていると思えないほど
の手のかけようだった。
「朝食にこそ旅館の姿勢が出る。朝でも手間を惜しまぬ旅館は、他のサービスも良い
ものだよ」
私の問いかけたときの祖父の台詞には含蓄があった。
民宿を開くにあたって、地道にノウハウを調べた経験がそう言わせるのかもしれない。
リピーターがつくというのも頷ける味だ。
エノキダケと三つ葉の味噌汁が、ふいに椀の中で波立った。
今さらのように手が痙攣しているのだ。それほどの恐怖。それほどの、倒錯した興奮
‥‥まだ昂ぶっている意識を、むりに日常へと引き戻す。
「で。今日はどうするつもりかね、しいは」
「うーん、どうしよっか。くつろぐつもりで来たから、何も予定立ててないんだよー」
「それで良いんですよ、しのぶさん」
調理場から声がして、さっきの仲居さんが顔を出した。祖父が同意するように頷く。
「まぁ、のんびりした土地柄だしな。帰省も久しぶりだろうし、村内を見てまわって
はどうだね」
「そうだね。うん、そうする」
頷き、くすりと笑って私は付け加える。
「それにこの辺りなら、年頃の娘が一人歩きしても安全だものね」
とたん。
空気が、凍った。
祖父の額に現役の頃と同じ深い険が寄っていた。調理場の洗いものの音だけが響く。
再び何かを口にしかけ、けれどらしくもなく逡巡し、祖父はぴしゃりと口を閉ざした。
やはり。
ぞわぞわと、今朝の感触に同質な、あるいは異質な戦慄が背を這いあがる。
私がおぼえていないところで、あるいは小さかった私があずかり知らぬところで。
この村で、かって、何かがあったのだ。
‥‥年頃の娘が一人歩きすることさえ危険なほどの、何かが。

「は、ふぅぅ‥‥」
伸びをした弾みにちゃぽんとお湯が弾け、気の抜けた親父くさい声を洩らしていた。
肩を這いあがる夜の慄き。けれど一日が始まったばかりの今、それはほんのわずかな
緊張でしかなかった。むしろ、まだ見ぬ期待と興奮がわきあがる。
記憶のどこかをかすめる、続き夢との奇妙なデジャブ。
不思議な、初めての体験ばかり‥‥
いくつかの思わせぶりな祖父の発言と沈黙は、私の忘れてしまった(というほど大げさ
でもない)記憶が、深く秘め隠された過去に繋がっているらしいことを示唆していた。
子供時代の私。
もうおぼろでしかないあの時期、私はこの地で何をし、何を見たのだろう。
そして、何を忘れてしまったのか。
「うふふ、なんだろ」
温まった四肢をうーんと伸ばし、今日一日の自分によし、とかけ声をかけて立ち上がる。
おぼろな記憶を取りもどす冒険。なんだかメルヘンチックで、ドキドキしないだろうか。
たあいもない子供のように‥‥
この時の私は、謎解きにいどむ探偵めいた興奮にかられていた。


              ‥‥‥‥‥‥‥‥


「じゃあ行ってくるね、ベス」
吠えることもなく、玄関脇で小首をかしげたベスは利発そうな瞳で私を見送った。
ワンピースの裾をひらひらとなびかせ、あぜ道を降りていく。麦わら帽を押さえて弾む
足どりは4歳の頃そのままだ。
あの頃、この盆地が、人一人やっとの道が、あきれるほどに広かった。背丈ほどもある
天然の迷路を駆けまわり、道ばたから身を乗りだしては田んぼを泳ぐ虫を怖がりもせず
のぞいていたっけ‥‥
青々とした草海が微風にひらめくたび、きらりきらりと色づく。9月を迎えてそろそろ
稲穂も実りの時期に入りかけているのだ。
いびつに広がる棚田は城址さながらの段々になってすり鉢の底へとのびていき、濃淡の
ついた絨毯に点在するくすんだ赤屋根を土盛りのパッチワークが細かくないあわせる。
それら細い農道やあぜ道の突端に祖父の民宿と村唯一のバス停があり、盆地をはさんで
対角線を伸ばした先に、温泉街がへばりついていた‥‥あるいは、温泉通りと表現した
方がよいかもしれない。
ぶらりと街路に足を踏み入れて、枯れた雰囲気になぜか嬉しくなる。
石畳が敷かれ、それなりに叙情もあるけれど、実際には商店がいくつかと小さな宿が一
つ二つきりの、慎ましやかな村の風景なのだ。
通りですれ違うのは、旅なれた風情か、農作業着のどちらか。
むりもない。不十分な舗装の山道は山裾から車で二時間はかかるし、上がってきた所で
こんな隘地に駐車場なんかない。バスだって日に7本きり。不便このうえない土地柄だ。
旅館でかけ流した源泉が、街路の側溝をちょろちょろ流れていく。
白濁したかぼそい筋は、その泉質とこだわりを示していた。湯量の少なさゆえ、昔から
の慣習で温泉宿を営むことのできる人数には限りがあるという。祖父も、かなりの額で
前の権利者から譲りうけたそうだ。
こつんこつんと石畳に靴を鳴らして歩いていくと、見覚えのある店の前を通りかかった。
「山宝」は昔からの雑貨屋で、いかめしい看板が今も埃をかぶっている。ここではよく
駄菓子を買ってもらったりしたはず‥‥
軒先には申しわけ程度にかずら細工や民芸品が置かれている。山裾の温泉街と同じだ。
むしろメインは旬の山菜やキノコ、取れたての野菜などのようだ。
雑貨屋はもうやめちゃったのかな‥‥寂しさを感じつつ民芸品を手に取っていると、奥
から人が出てきた。
「あら、いらっしゃ‥‥‥‥」
「?」
不自然な途切れかたに顔を上げると、見覚えのない中年の女性が顔を青ざめさせていた。
「なっ、あんたは! どうして、今さら、ここに戻って」
「あの‥‥えっと」
「いえ、違う、違うわ。そうよね、そうじゃない」
唐突で乱暴な口調。びくりと私が震えると、その店員ははっとわれに返ったらしく腰を
低くして私に謝りだした。
「ごめんなさいね。あなたそっくりなヒトがいて、その人と間違えそうになったの。でも
そうよね、昔の話だし‥‥えっと、お客様ですね。何かお求めになります?」
「いえ、その」
いくつもの思いが複雑にからみあい、わけもなく私は口ごもってしまっていた。
私にそっくりな女性‥‥?
言われて瞬間的に思いだしたのは母の顔だった。私は、若い頃の母にそっくりらしい。
本当に母と間違えたのなら、母は、まるで悪いことをした罪人かなにかみたいだ‥‥
黙っているべきだと思いつつ、しかし、我慢できなかった。
ためらいを押しきって思いが言葉になってしまう。
「私の故郷なんです、ここは。昔はよくここに帰省に来ていたので懐かしくて」
「そう‥‥なんだ、やっぱり」
そして、後悔した。
「私も間違っていないじゃない。娘さんなんだ、あなた。あの女の」
「あの」
「あらぁ、ごめんなさいね。大田さんの所の孫娘さんでしょう。よく存じておりますよ」
あらためて私に向けられた口調は丁寧さの裏にトゲが隠れ、そして私をじっと見やる瞳
には、奇妙なまでのよそよそしい色が混ざっていた。

結局、何も買わず、何も話を聞けず、追い払われるようにして店を後にする。
わけが分からない‥‥心の中のもやもやは深まるばかりだった。昔はもっと優しいお店
の主人がいたはずだ。会って、懐かしく子供時代の事を聞いたりしたかった。それだけ
なのに。
やるせない思いになり、遠ざかるほどどんどん歩みが速くなる。
顔をゆがめそうになり、ぎゅっと帽子を手で押さえつけた私は小走りになっていた。
彼女の雰囲気。あれは、ただ単にこの村が排他的というのとはまったく違う。勘違いを
詫びた時はまだ普通の店員さんだった。それがどうして‥‥
かつん、かつんと音を立て、ようやく足が止まる。
いつのまにか、温泉通りの端まで来てしまっていた。本当に小さな目抜き通りなのだ。
山肌にそって曲がりくねった通りを戻っていく。
と‥‥小さな建物が目に入った。趣のある瓦ぶきの屋根。雰囲気からして郷土史か何か
の資料館ぽい。興味をそそられて近づく、その入口わきに、小さな記念碑が立っていた。
光沢のある石の表面になにげなく興味をもって目を這わせる。


『 夜 は 獣 ば か り の も の で は な い ― 熾乃 遊大 ―』


唐突なフラッシュバックに、膝ががたがたと震えだした。
祖父の言葉がまざまざと頭によみがえる。さわさわと肌が粟立ち、思わず体を手で抱き
しめていた。なんだろう。まだ9月も頭なのに、なんでこんなに温度が下がったような
気がするんだろう。
この台詞。この文言。あの時、祖父が警告のように暗示のように呟いたのだ。
では、夜は、この地方の夜は、いったいダレのものだというのか。
――違う。そうじゃない。
本当はおぼろに分かっている気がした。
村はずれの祖父の民宿で、かってのお屋敷で、見かけたもの。徘徊していた白い肌の。
あれが。
祖父の言いたかったのは、あのことじゃないのだろうか‥‥
                         Total  daily  - 

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