10月のサマーカクテル その3

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                 ― 12 ―

 どうやって家に帰ったか、覚えていない。
 悪夢のような、朦朧とした記憶の断片。舌を絡めあう淫靡な音、陶酔した2人‥‥その
彼女の瞳孔が、唇を奪われたまま、大きく見開かれる‥‥でもなぜ?‥‥そうだ、あの時
‥‥たじろいだ僕の肩からずり落ちたバッグが床を激しく叩いて‥‥だから‥‥
 僕は、逃げ帰ってきたのだ。
 木村と僕との差は、あまりに歴然としていた。彼女が体を許し、大人のディープキスを
木村と交わしている時、僕は惨めな顔をして校舎の廊下に顔をすりつけていたのだから。
一つ一つ、今までの記憶を思いだす。初めて香椎先生と出会った時のこと、無防備なほど
あけすけになる瞬間、首に回された暖かい腕。そうして、唇をかすめたキスの記憶。
 もはや何も考えられず、僕はベットに顔をうずめて嗚咽していた。
 いつまでも、いつまでも――

 翌日から、僕は美術部に顔をださなくなった。
 考えてみれば、もともと美術に興味などなかったのだ。香椎先生がいるから、あの人の
そばで話ができるから‥‥本気でそう思っていた。あの頃の僕は、どこまで愚かしかった
んだろう。夏合宿での思わせぶりな態度に翻弄され、一人舞い上がっていただけ。
 教師と生徒の間に、恋愛なんて成立するわけがないのだ。
 だから、僕は香椎先生を避けた。美術室を避けた。部員と会うのを避けるようになった。
少しづつ、人間関係が疎遠になっていく。僕は、それを望んだ。

 10月もなかば、もうすぐ学園祭という時期に、僕は小野部長から屋上へ呼び出された。
人気のない放課後の屋上は、そろそろ肌寒い木枯らしにさらされはじめている。 
「なぁ清水、オマエ‥‥本当に美術部をやめたいのか。なぜだ」
 フェンスにもたれたまま、僕は質問に口ごもる。小野部長には以前から、合宿でも部活
でも、言い尽くせぬほどお世話になっていた。けれど、どう説明したらいいのだろう。
 言葉を選びかねていると、小野さんはポツリと言葉を放ってよこした。
「オマエ、あの人に、惚れているんだろ?」


                 ― 13 ―

 驚いて視線を返すと、小野部長はハハッと乾いた笑いをあげた。
「そう気にすんな。俺も最初はそのクチだったよ。女子でもあの人に憧れてる奴は多いさ。
‥‥ただ、お前の目は、マジだったがな」
「僕は、その、たまたま木村先生と香椎先生の‥‥」 
「2人の関係を目の当たりにしたのか。こりねぇなぁ、木村の奴。まさに噂どおりか」
 小野さんは、香椎先生の噂について教えてくれた。
「木村は、前から香椎先生に迫っていたんだ。あれで学園長の甥だ。邪険にできなかった
んだろうな。けど半年前、2人がホテル街から出てくるのを見たって噂が広がったんだ。
あまりに露骨な内容で、木村は身を引くしかなかった‥‥下らない、馬鹿げた噂さ」
「‥‥」
「それだけじゃない。木村は酔うと酷いらしくてな、事あるごとに香椎先生は俺の女だと
か、好き勝手に言いふらすんだ。それが歪んで、一部の女子生徒にも伝わっているのさ」
「そんな話が、あったんですか‥‥」
 僕は、衝撃を受けていた。
 あの日、あの夏の夜に香椎先生が言っていたのはそのことだったのか。その程度の噂も
知らずに、僕は浮かれていたのか‥‥けれど、なら、美術室でのあれは‥‥
 混乱している僕を励ますように、小野部長は肩を叩いた。
「自覚してないだろうが、お前には絵の才能がある。天性の観察眼みたいのを感じるんだ。
だから、こんなことが理由でお前には辞めてほしくない。頼む」
 毎日部活に来いとも強制しない。香椎先生と話したくないならそれでいい‥‥
 小野部長の熱意に折れ、僕は、学園祭の手伝いまでは美術部に残るからと約束した。

「お久しぶり、清水君。相変わらず煙草は吸ってるの?」
 人気のない美術室でだまし絵を使った展示を組み立てていると、忘れようもないアルト
ボイスが投げかけられた。秋の陽射しが、たおやかなシルエットを床に引き伸ばしていく。
「‥‥」
 動揺を抑え、あいさつを兼ねて僕は小さく目線で頷いた。あの美術室での事を許す気は
ない‥‥けれど、彼女を無視しつづけるには、あまりに僕も辛かったのだ。
「そう。私も嫌いじゃないわ。でも、吸いすぎないようにね」
 おや?と見上げ、胸を突かれた僕は目を伏せていた。聞きようのない問いが心に浮かぶ。
‥‥どうして、先生はそんな、痛々しげにほほえむんですか?
「一つだけ伝えたかったの。学園祭の打ち上げ、私、いないから。気にしなくていいのよ。
いい思い出を作ってね。顧問として、最後のお願い‥‥だから」
 顔を上げられないまま、もう一度僕はうなずく。
 香椎先生の声は、たしかに泣いていた。


                 ― 14 ―

 学園祭終了後の熱気は、夜の繁華街にくりだした後も続いていた。
 居酒屋の扉を開けると熱気と喧騒がもわっと押し寄せてくる。淡い照明に、カクテルも
焼酎も出す無国籍な店の雰囲気。驚くほど大勢の客が騒ぎ、歓声は耳に痛いほどだ。
「その、小野先輩、でも僕たちは未成‥‥」
「細かいこと言うなって。打ち上げが居酒屋で驚いたろう? だから私服必須だったのさ」
「そうよー。ノリ悪いんじゃない、清水君って。一人でジュースでも飲んでればァ?」
「そんな、鳴沢さんまで」
 口ではそういいつつ、僕も打ち上げの興奮にわれを忘れていたのだと思う。
 初めての乾杯に、初めての一気飲み。慣れぬビールの苦味と異様な部員たちの一体感に
煽られ、みるみる気分が高揚していく。30分もたつ頃には、僕はすっかり酔っていた。
おぼつかない足でトイレから戻ってくる途中、偶然ガタイのいい男性と肩がふれあう。
よろけた僕に、男の手がのびた。
「オイ、前くらい見てあるけや‥‥って、お前は、あの美術室での!!」
 僕の方も、あっと息を呑み、青ざめる。そこにいたのは、泥酔した木村紀夫だった。
「なんで未成年の、しかもうちの生徒が居酒屋にいるんだよ、ええ?」
 逃げようとした僕の胸倉を、木村の手がグイとつかみあげる。
 日頃の取りつくろった仮面が割れ、酩酊した木村の口調はヤクザそのものだった。何度
も謝りながら手を振りほどこうとするが、体育教師の握力は信じられぬほど強い。
「お前のことは知っているぞ。俺の杜奈に手を出そうとした奴だよなぁ。いい機会だ」
 反論する間もなく、重いパンチが顔に吹っ飛んできた。
 視界に閃光がはじけ、背中がずるりと壁をこすった。酒臭い手が僕の体をガンガン廊下
に打ちつけていく。痛みで意識がバラバラになり、無意識に僕は悲鳴をあげていた。
「まぁ、これも俺の恋路を閉ざしてくれた罰だ。あきらめるんだな」
 ――恋路? 閉ざした?
 止めに入る店員を振りはらい、逆上した木村がとどめの拳を高々と振りあげてゆく‥‥
「木村先生ッッ!! 何をやっているんですか」 
 だが。次の瞬間、小柄な体が凄い勢いで木村をつき飛ばしていた。
 この声。この雰囲気、この記憶にある匂い‥‥
 香椎杜奈先生が、床に崩れた僕を守るように立ちはだかり、木村をにらみつけていた。


                 ― 15 ―

 キレイだ‥‥何よりまず、そう思った。
 美しいまなじりを眼鏡ごしにきつく吊りあげ、激しく肩で息をしながら両手を広げる姿。
好きだった女教師に守られる――そのことに屈辱など感じなかった。純粋に心が震えた。
「ふ、ふざけるな杜奈。こいつの肩を持つのかよ!」
「居酒屋で生徒に怪我させたら、冗談では済まされませんよ。いま、他の先生方も呼んで
きます。学園長にもすべて報告いたします。よろしいですね、木村先生」
「ま、ま、待てって。学園長に報告って、そんな大げさな」
「こんなに顔を腫らして、ご両親に対しても、なんでもないでは済まされませんわ」
 ほどなく、彼女に連れられて教頭が人ごみをかきわけやってくる。その頃には野次馬に
取り囲まれ、激情が冷めきった木村はすっかり打ちひしがれていた。
「だいじょうぶ? 清水君、立てる? ケガの具合は」
「はい。痛いけど、普通に歩けそうです」
 肩を借りて立ちあがる。僕を見つめる香椎先生は、どこかおどおどしていた。
「その、先生方との飲み会があったのよ。別に、木村先生とは」
「‥‥いいんです。助けにきたのが香椎先生だって分かった瞬間、すごく嬉しかったから」
 彼女の瞳には、大粒の涙が盛り上がっていた。
 その先はあわただしかった。部長にメールを打ち、騒ぎになる前に帰ってもらう。店に
事情を説明し、教頭が何度も詫びる。香椎先生は、僕を駅まで送っていくと全員に告げた。
店の外に足を踏みだすと、底冷えのする秋風が正面から叩きつけてくる。
「その顔で戻ったら、ご両親が心配なさるわね」
「ハハ。いま、両親は仕事の関係で日本にいませんよ。一人暮らしみたいな感じですから」
「‥‥そう。じゃ、今夜も一人ですごすのね」
 香椎先生のアルトボイスが、なにかを思案しているかのように低く沈む。
「先生?」
 駅の改札前で、僕たち2人は向かい合っていた。
 手帳に走り書きし、さっと手に握らせて彼女は戻っていく。改札を抜け、僕は確かめる。
 紙と一緒に握らされたもの‥‥それは、家のカギだった。



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