うたがい その3

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凍りついたまま、息もせずに様子をうかがう。
ドアが開いていると気づけば、宅配業者は入ってくるかもしれない。玄関からは扉を
一枚はさんだだけ、首を伸ばせばリビングの私は丸見えなのだ。
チャイムが興味をひいたのか、近寄ってきていたテトラの足も止まっていた。
かりに宅配業者が部屋に入ってこなくても、開けたドアからテトラが外に出て行って
しまったら‥‥
ギシギシッと食い込む縄の痛みが、革の音が、気づかせてしまうのではと恐ろしい。
冷や汗が、前髪の貼りついた額を濡らす。
「‥‥ッッ」
息をひそめてテトラに舌打ちで呼びかけながら、私は焦りとうらはらのマゾの愉悦に
犯され、気も狂わんばかりにアクメをむさぼりつづけていた。踏み込まれたらなにを
されてもおかしくない。フェラチオ用の猿轡を嵌められて発情しきった緊縛奴隷を前
に、彼は私になにをするのだろう。
どれほど犯され、嬲られようとも、私は這って逃げることさえ叶わぬカラダなのだ。
テトラが私の鼻先で首をかしげた時、ドアノブの回る音がした。
ウソ、駄目、ドアが開けられちゃう‥‥ホントに、すべて終わっちゃう‥‥
「‥‥‥‥ッッ」
ガチャリと言う音に息をのみ、目をつぶる。
だが、聞こえてきたのは業者の驚きの声ではなく、すぐ隣に住む好青年の水谷君の声
だった。
「なんです‥‥は? ドアが? 佐藤さんの。はぁ」
「‥‥」
「あぁ、佐藤さんはさっき出かけましたよ。近所のコンビニかなにかだと思いますが」
「‥‥」
「いや、開いてるからってドア開けちゃうのはマズいなぁ‥‥おたく、どこの宅配屋
さんですか?」
苛立っているような業者と会話を交わしていたが、やがて代わりに荷物を受け取って
おくことになったらしい。荷物を受け渡す音がきこえ、そして玄関は静かになった。
「ハァ、ハァ、ハァ‥‥」
信じられないほど呼吸が乱れきっている。
ぽとぽとと、熱くたぎったオツユが太ももを伝っていく感触。ビクビクンとさざなみ
のように震えの波がくりかえし押し寄せてくる裸身。
私、2人の会話を聞きながら、何回もイッチャってた‥‥‥‥
ぞくん、ぞくんと、拘束具に食い締められた裸身がおののきをくりかえす。折りたた
まれた両足も、何重にも縄掛けされた足首さえも、痙攣がおさまらないのだ。
革手錠を嵌められ、高々と吊り上げられた無力な後ろ手がのたうち、カチャカチャと
冷たい音を奏でて背中で弾んでいる。
見られるかも‥‥犯されるかも、本当にそう思って‥‥
怖くて、絶望に溺れるのが、最高に気持ちイイなんて‥‥まだカラダが狂ってる‥‥
うあぁ‥‥来るッ、またお尻が変になるぅ‥‥
かろうじて、ほんの首の皮一枚の危うい局面で水谷君の誤解が私を救ってくれたのだ。
「みゃ?」
うっとり陶酔し、バクバク弾む動悸をかかえて浅ましく裸身をよがり狂わせる私の姿
がどう見えたのか、テトラは楽しそうに私のおっぱいにしがみついてきた。
ツプンと食い込む、肉球の下の小さなツメ。
残されていた最後の理性が薄れ、痛みがめくるめく快楽をよびさます。
絶息じみた喘ぎ声を残して、私ははしたなく、深く、長く、アクメをむさぼっていた。


このとき、私の胸に一つのうたがいが浮かんできたのだ。

              ‥‥‥‥‥‥‥‥

907号室に住んでいる大学生、水谷碌郎(みずたに ろくろう)。
隣人である彼は、朝のゴミ出しや帰宅途中によく一緒になる、すがすがしい年下の好
青年で、ゴミ出しにうるさい階下の吉野さんなどに比べたらはるかによき住人だ。
しかし‥‥思い返すと、気になることはいくつかあった。
たとえば、いまでも私は自縛しての危うい夜歩き、露出プレイを行っている。
志乃さんのプレイほどではないけど、リスクを犯せば犯すほどマゾの官能は燃え盛り、
全身がアクメにとりつかれたかのように打ち震えるのだ。人に見られ、脅され、犯さ
れたら‥‥残酷なファンタジーが私をドロドロに焦がしていく。
だからこそ、私は他人の生活パターンに敏感になっている。なのに、たいていの住人
の生活パターンが見えてきた今でも、彼だけはまるで分からないのだ。
初めての自縛も、きっかけは彼だった。冗談半分で後ろ手錠を試したときに訪問され、
冷や汗をかいて応対するなかで自縛のスリル・快感を思い知らされた記憶がある。
身近なようでいて、どこか水谷君は謎めいているのだ。
ついさっきの出来事はどうだろう。
私は朝からずっと家だったのに、『コンビニでは』と断言した水谷君が宅配業者を引
き止めてくれた。そのためだけに廊下に顔を出した彼が、かろうじて私を救ったのだ。
‥‥そんな都合のイイ話があるだろうか?
論理的じゃないし、私の発想は飛躍しすぎかもしれない。しかし。
まるで、水谷君の行動は「奴隷」を守る「ご主人さま」のように思えないだろうか?
(バカみたい。考えすぎよ)
疲れた頭で思う。思うのだけど、けれど‥‥
こうして、水谷君から渡された小包の、その中身が私の動悸を激しく煽りたてるのだ。
『佐藤さん、夏休みなんですね』
小包をわたしながら、にこやかに彼は微笑んでいた。
『今年は冷夏ですし、あまり海とか遊びに行く気分なんないすよね』
ええと答えると彼ははにかみ、雰囲気の良いバーが最近駅前にできたので、誘っても
いいかと声をかけてきたのだ。その姿は少し大胆になった自分にまごつく青年という
水谷君のイメージそのままだったのだけれども。
(分からない、私には)
以前にもこんなことがあったはずだ。きわどい自縛の直後に水谷君が小包を持ってき
て、そそのかすような背徳的な中身に釘づけになった記憶が。
どうして、こうもタイミングが良すぎるのか?
セルフボンテージにはまっていた前の住人、佐藤志乃さんあてに届く淫靡な小包。
「‥‥ケモノの、拘束具」
口にしただけでゾクゾクッと惨めったらしい快楽の予感が背筋を這いあがってきた。
膝で丸まるテトラに目をやって身震いし、逸る胸をおさえて指をのばす。

猫耳をあしらうカチューシャと一体形成になったボールギャグ。
犠牲者を四つんばいに拘束する残酷な手足の枷。
ローター入りのアナルプラグをかねた尻尾が、私を誘うかのように光沢を放つ。

中身は、奴隷を4つんばいの獣に縛り上げるための、マニアックな拘束具だったのだ。

              ‥‥‥‥‥‥‥‥

コツ、コツと足音が近づいてくる。
自縛から抜けだす手段を失い、私は四つんばいのまま、震える裸身を縮こめていた。
逃げ場もない。拘束から逃れる手段もない。なすすべもなく震えているだけ‥‥
階段を上がりきった足音が、エレベーターホールに入ってきた。
見られた‥‥
すべて終わりだ‥‥私、もう‥‥
悲鳴をあげることも出来ず、バイブの律動に身を捩じらせて耐えるだけの私。
つぅんと、甘やかな後悔が背筋を突き抜けていく。
静かに私の正面にやってきたその人影は、しかし驚きの色もなく声をかけてきた。
「‥‥‥」
その声。柔らかい声。
はじめてなのに聞き覚えがある、どこか懐かしい、待ちわびたそれは。
間違って‥‥ううん、あるいは意図的に、かって佐藤志乃さんが住んでいたアパート
にみだらな器具やビデオを送りつけてきた人物。志乃さんを調教していた、ご主人様。
きっと、このままこの人に飼われるなら。
もう逃げる必要なんて、隠す必要なんてないんだ‥‥

がばっとベットから飛び起きるのも、一瞬現実が混濁するのも昨夜と同じ。
二晩続けての、じっとりぬめる奇妙な悪夢。あまりにもリアルで生々しい、手ざわり
さえ感じられそうな夢の余韻に、不安さえ覚えて私はじっと天井を見つめていた。
すでにほの明るいカーテンの外。
これはいったい‥‥予知夢か、警告か、何かなのだろうか?
ぼんやりしているところへ、電話がかかってきた。

「高校時代にも一度、授業の一環でドラクロワ展を見に行ったことがあったわ」
「じゃ、早紀さんにとっては二度目の出会いなんですね」
電話は後輩OLの中野さんで、誘われるまま2人で美術館に行ってきた帰りだった。
表層的なつきあいの同僚ばかりが多い中、大学時代のように本当に親しくできるのは
彼女を含めた数人程度だ。
「でもいいの? せっかくのチケット、彼氏と行った方が良かったんじゃない?」
「駄目なんです。あの人、からきし芸術音痴で‥‥」
それに彼とは昨日会いましたし、そう言って目を伏せる中野さんの、むきだしの腕に
かすかなアザを見つけ、私はひそかに口元をゆるめてしまう。
「ふふっ、中野さん、また手首にアザつけて‥‥相変わらず、SM強要されるの?」
「あ、いえ‥‥違いますよー」
軽いイジワルをこめて話をふると、彼女は面白いほど赤くなった。
「その、私も少しは、いいかなって思うようになって。縛られるのだって、慣れたら
彼、優しいですし」
「あらら、ごちそうさま。一人身には切ない話題ね」
「早紀さんこそ、最近どんどんキレイになってます。実は彼氏いたりしません?」
「いたら私ものろけ返してる」
笑いつつ、ふと頭に浮かんだ水谷君の顔に、私は動揺しかけていた。
いつから恋愛がこんなに不自由なものになってきたんだろう。
ただ素直に、好きとか一緒にいたいとか、そう思うだけの恋愛ができない。良さそう
な異性がいても、まず相手の職種や年収に意識が行ってしまう。
ある意味当然だけど、OLも3年目だし先を見すえないと‥‥なんて思ってる自分が、
時々本当にうっとうしいほど重たく感じてしまうのだ。
水谷君だって、今までなら決して悪い相手じゃないはずなのに‥‥
「あ、やっぱ気になる人いるでしょう」
「え。え、えぇっ?」
のけぞって思わず後悔する。珍しく、受け身な中野さんが目を爛々と光らせていた。
この子、こんなカンがよかったっけ‥‥悔やんでも後の祭り、だ。

結局彼女に迫られて、普段と逆に水谷君のことを根掘り葉掘り聞きだされてしまった。
彼女自身の結論はシンプル、気になるならつきあってみればいい、だ。
打算や損得抜きの恋愛も良いじゃないか。アパートの隣同士ってのはあまり聞かない
けど、だからって別れる時のことまで最初から計算する恋愛はないんだから。
それだけなら彼女の言うとおり。
‥‥例の、あの小さなうたがいと疑問さえなければ。
「志乃さんのマスター‥‥」
呟いて、ベットに転がったまま天井を見上げる。
年下の彼。さわやかでちょっと虐めがいありそうな男の子。誘われて悪い気はしない。
だけど、もし彼が、私の探しているご主人様、佐藤志乃さんを調教していたマスター
だとしたら‥‥
彼は、ささやかな手違いで、私の人生を狂わせてしまった憎むべき男なのだ。
それとなく間接的にほのめかされ、そそのかされ、いつか私はどうしようもないマゾ
の奴隷にまで堕ちてしまった。セルフボンテージでどうしようもなく躯を火照らせる、
ヒワイな躯に調教され、開発されてしまったのだ。
だから、もしご主人さまに会えるなら私はなじってやりたいのだ。こんなにも人一人
を変えてしまった彼の手違いを。その残酷さを。
そして、意識もなくなるほどドロドロに、深く、ご主人さまに責められたい‥‥
「‥‥ッッ」
トクンと胸が波打ち、カラダがうずく。
ありきたりなSMのご主人様なんていらないのだ。そう‥‥あの人以外には。
水谷君がその彼なら、尽くすべき相手なら、私は今すぐにでも捧げられるだろう‥‥
だが彼が本人だと、どうやって確かめうるというのか。
推測だけを頼りに真正面から切りこんで聞くことなど、できるはずもないのだ。
堂々巡りの思考をたちきり、送られてきた小包に目をやって、うずきだす息苦しさに
私は目をつむった。

軽い興奮に寝つかれず夜食を買おうと外に出たところで、夜のこの時間には珍しく水
谷君に出会った。話を聞くと、バイトをしてるらしい。
「いつも夜にシフト入れてる友人が夏休みとってて、一週間だけ俺が入ってるんです。
しばらくは帰宅も午前の1時、2時ですよ」
「そうなんだ、頑張ってね」
お盆をひかえた帰省のこの時期、人の減ったアパートの廊下は怖いくらいに静かだ。
このさわやかな青年が、本当は私の主人様なのだろうか?
奇妙なやましさがこみあげ、目を合わせていられない。うつむいて通り過ぎようとし
たとき、彼が呼びとめた。
「お休みの間、早紀さんはどこか旅行とか行かれます?」
「ええ、あさってから、大学時代の仲間と」
国内でゆっくり避暑にでも行こうかという話がある。
そういうと、彼はゆっくり笑った。
「そうですか。じゃ、今日明日中に急いで小包の中身を味あわないとダメでしょうね」
えっ‥‥?
小包って‥‥獣の拘束具‥‥
虚をつかれて息を呑む私に、水谷君はそのまま告げた。
「『生もの、お早めに』って、貼ってあったじゃないですか‥‥小包の、中身」
あまったら、おすそ分けしてくださいよ‥‥

彼が部屋のドアを閉じた後も、私は壊れそうな動悸を抑えこむのがやっとだった。
ゾクン、ゾクンと下半身がおののいている。
あまりに意味深な言葉の意味。それが、分からぬわけなどない。


私、いま、ご主人さまに直接、命令されたのだろうか‥‥?

             ‥‥‥‥‥‥‥‥

コンビニから戻った私の呼吸はさっき以上に動悸でうわずり、なにを買ったかも分か
らないほどだった。くりかえしくりかえし、水谷君の台詞がりフレインする。
(一週間だけ、深夜のバイトを入れた‥‥)
(今日明日中に味わってみないといけないでしょう‥‥)
わざわざ予定を教えてくれた彼。この一週間はアパートの人も少なく、ちょうど自縛
した私が夜歩きする時間帯が、彼の帰宅と重なることになる。
『今日明日中に味わいなさい』‥‥命令調ともとれる、あまりに意味深な啓示。
もし彼が私のご主人さまで、私が気づいたことを知って言ったのなら。
私の、私自身の調教の成果を見せろというのなら。
‥‥つまりセルフボンテージを施した、恥ずかしい私自身を見せろということなのか。
緊縛された無力な姿の私と、ばったり出会うことを望んでいるのか。
「‥‥いけない。なに妄想してるの」
はっとわれにかえって呟く。
興奮しすぎるのは、セルフボンテージを行ううえで致命的だ。いかに酔いしれても、
最後は自力で束縛から抜けだすしかない。ムチャな自縛は怪我や事故につながりかね
ないのだ。
だいたい彼が、水谷碌郎が志乃さんをしつけたご主人さまかどうか断定できないのだ。
とはいえ、彼の一言が大きな刺激になっているのも事実だった。
普段より何倍も緊張に踊る私の心。今ならはるかにスリリングで、興奮できる自縛を
楽しめるに違いないのだ。
どのみち、送られてきた器具はいつか必ず使うのだから‥‥
「‥‥」
ゆっくり、動悸が静まっていく。いや。静まるというのは間違いだ。相変わらず高い
テンションのまま、気持ちがゆっくり波打っているのだ。
体の芯から広がり、指先のすみずみまで広がっていく甘い被虐のさざなみ。
火照る自分のカラダがいとおしいほどに、気持ちが柔らかい。
「明日。明日の、夜に」
小さく呟いて、淡いランプに照らされたリビング中央の箱を、私はそっと撫ぜた。
今までとまったく違うタイプの拘束具に、心が逸り、想像だけがあわあわと広がる。

ケモノの拘束具には、はずすための鍵がなかった。

形状記憶合金を使った、ケモノのための手枷と足枷。強靭な革を丸く手袋状に編み、
袋の口に手枷がわりの合金の輪がはまっている。
お湯につけてあたためると開き、その後常温でゆっくり元に戻る仕掛けらしい。
いわばカギのない錠前つきの、危険な拘束具なのだ。指先まですっぽり覆うこの手枷
を身につけたら、ふたたびお湯につけぬ限り、決して外すことができない。
奴隷自身にはどうしようもない不可逆性。
初めての拘束。初めての邂逅。危うい罠から、私は逃れることができるのか。
それとも‥‥

今度こそ、奴隷として、囚われてしまうのか。


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